産後2ヶ月の気持ち
3月上旬、予定日から10日遅れで長男を出産。
里帰りなしでオットと2人、試行錯誤しながら赤ちゃんのお世話に明け暮れ、二ヶ月経った最近はかなり穏やかに過ごしている。
「案ずるより産むが易し」という言葉を「嘘じゃん!!!!!!」と呪いながら耐えた陣痛だったけど、不安やらなんやら抱きしめ、いざ退院しての赤子と大人2人だけの暮らしはまさに案ずるよりなんとやらだったなあ、と振り返って思う。
陣痛~出産まで
予定日は2月末。とはいえいつ何があるかわからないので、早々に入院バッグ・陣痛バッグにお菓子やらペットボトルストローやら詰め込みわくわくとその日を待っていた。
毎週、週末になる度に「オットと二人の週末もこれが最後かも…」と思い、やれイベントやら、やれ映画やらと出歩いていたのだけど、結局正産期を飛び越え予定日が来ても何の兆候もなく完全に暇を持て余していた。予定日過ぎて競馬場行った妊婦もそういないと思う。
いよいよ入院して誘発しますか…というような話が出始めた42週のはじめ、突如夜中に訪れた陣痛。アプリで必死に間隔をカウントしながら夜明けを待ってタクシーで病院へ。ちなみになぜかこの時、オットも謎の腹痛に苦しめられていて痛み分けとはこのことなのかなんなのか、さすがに出産への当事者意識が過ぎる。
あれよあれよと入院になり、その日の23時前に無事出産。
初めて息子を抱いた時の感覚は愛おしいとかそんなことよりも、こんなでかい人間が入っていた…?そして出てきた…?!ほんとに?!?!っていう衝撃のほうがだいぶ強くて、なかなか理解が追い付かず…いまだに信じられないけども。
担当してくれた助産師さんと同じ誕生日だったり、もう一人の助産師さんの苗字が息子につけようと考えてた名前と同じだったり…と、色々とご縁を感じるお産になってすごく嬉しかったなあ。
入院中も助産師の皆さんには本当によくしてもらって。退院する日の朝、「産まれた時からずっと被っていた帽子です」って入院中被せられてた小さいニット帽渡された時涙がぶわっと出てきて。家に帰ってからもしばらくは、帽子を見るたび涙が止まらなくなってたのが懐かしい。
新生児VS大人ふたり
産後5日目にしてポーンと社会に放り出された新生児と大人ふたり。
里帰りなし、双方の実家支援一切なしでかなり不安に思っていたけど、1週目に乳腺炎になりかけたこと、3週目に抱っこじゃないと絶対寝ないマンになった以外は想像よりずっと穏やかに過ごしている。とにかく適当に!!!という某助産師Youtuberさんの言葉には何度助けられたことか。そして何より、子を産んでから猶更オットに対して「この人と結婚して本当に良かった」という思いが強くなった。
子の様子を観察して日々試行錯誤しながら寝かしつけをしていたり。夜泣きに男性は反応しづらい、という事を知って、夜間授乳の時間にアラームを設定して自ら起きてきたり(アラームに気付かず結果私が起こされるというオチつき)。私が「ずっと子の相手をしてるから、その合間の家事がちょっとした息抜きになってる」と話すと、それ以降「いま、家事と育児どっちをやりたい?」と聞いてくれるようになったり。途中、育児の進め方や仕事とのバランスについて話し合うことはあったけど、きちんと双方の思いを受け止め合える関係性を持てたことは今後への大きな自信になったな、と思う。
結婚も、出産も、「何かを失う」ものではなかった
ひたすら仕事してきた20代。結婚や出産は私にとって「自分のためだけの人生を終わらせるもの」として畏怖の対象でもあったけど、実際はぜんぜんそうじゃなかった。もちろん、独身の頃みたいにふと思い立って夜中に1人でTSUTAYAに行ったり(時代…)、始発まで飲んだりはできないけど、それらの自由と引き換えても十分におつりがくるくらい、妊娠から出産までの経験が与えてくれたものは大きかった。単に子どもが可愛いとか(そりゃもちろん、めちゃくちゃ可愛いけど)そんなものではなく、自分でもびっくりするような新たな感情だったり、新しいことに半強制的に挑戦する機会だったり。30歳になって、ある程度自分の力で色々なことをコントロールできるようになってきたと思ってたけど、子どもがいるとこれが思わぬ方向に向かっていったりして面白い。なんて言ってられるのは、子がまだ歩けない今の時期だけかもしれないけど…
そんなこんなで2ヶ月になった我が子はよく飲みよく寝て、日中ほとんど泣くこともなく、寝ぐずりもほとんどなく、一生分の親孝行を乳児期のうちにやり切るつもりなんじゃないかというくらい健やかに育ってくれている。とにかく健康に、幸せに、もうしばらくこの穏やかな時間を家族3人で楽しみたいなと思う。
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