多様性の中で生きる僕らの音楽のスゝメ⑨ 後
続きものですが分割しても読めます。前半はこちら。
後半です。
打たれた楔、その背景にあるもの
・レコード会社含め音楽業界のビジネス戦略
長らく書いてきた項でも少々触れてきたが、もう端的に言うと日本のビジネススタイル…というか処世術そのものである。
「このやり方が売れるのだからウチも」という方針はご多分に漏れず、物真似が音楽市場を動かしてきた…という論の一端はこれである。
一種軽薄にも思えるだろうが、目を瞑ってあげたい部分でもある。理由としては様々で
など様々だが、やはりひとえに
これに尽きる、と言えば身も蓋も無いのだが。
社会のインフラや労働体系などを鑑みて時代背景に関しても、失敗に対して現代ほど優しくない状況ではあるので、二匹目のドジョウでも何でも売って、そして何としてでも成功を納めたい者も多かった。
だが、そういった働きかけにより大衆へのブームや浸透化にも繋がり結果は出ているので、端的に言うと[物真似]が日本の音楽(Jポップ)の土台の一つであることは間違いない。
・メディアの進化
この記事をPCやスマートフォンで閲覧されていると思うが、メディアの中心はテレビだった。
特に1975~85年の進化は決定的で、
…と、テレビは進化していき、同時にテレビの影響力が高まっていった時期でもある。
そこに前述のような音楽を投入することでビジネスチャンスは飛躍的に高まり、その中で育った者が現代の音楽シーンの中心であったり重鎮であったりするのが現在の状況である。
そしてもう一つの重要な立役者として、
商品名:ウォークマンを忘れてはならない。(これは音楽の全てについて言えることではあるが。)
これによって音楽販売のターゲットの導線は[家庭]と[個人]の両面にアプローチするようになる。販路が増えたのだ。
これらの爆発的普及によって音楽業界側のアプローチが容易になり、更にターゲットを年代別に絞るだけで個人への狙い撃ちが可能となり、ビジネス追求型の研究された音楽(パッケージ)が増えていく。
そして、それらも研究成果も内包し、全ての音楽的要素が同一チャート上に乗った瞬間から、もう"Jポップ"になるのだ。
・景気がもたらした生活レベルの安定と上昇
情報や環境は社会情勢により瞬く間に変化し、聴く側にも作る側にも(勿論、売る側にも)多大な影響があった。
生活水準が上がればそれだけ余裕ができるので、反体制を歌うメッセージよりも、誰かが言った「毒にも薬にもならないJポップ」がチャートを独占するのも頷ける話だ。
ここまでが、1980年代までで話を止めた理由です。
生活水準の移り変わりがそのまま音楽にも影響していく時代だったと思います。
(90年代以降に話を移さなかったのは冗長過ぎるのとロックや音楽が経済や情勢のワンポイントしか影響を及ぼさなくなった…と感じるからです。)
※海外のロックに集約していく流れと日本のJポップに集約していく流れは似て非なる、の話
─21世紀になりロックという言葉は、レゲエ・ミュージック、ソウル・ミュージック、ヒップホップのような表現をふくむ包括的用語(blanket term)として使われるケースも見られるようになった(Wikipedia:ロックより抜粋)。
こちらを組み替えます。
─20世紀後半からJポップという言葉は、ダンス・ミュージック、R&B、ヒップホップやロックのような表現や所属、又は参加をしている概念的、社会的要素を含む包括的用語(blanket term)として使われ、商業的成功のためにプロジェクトチームを組まれるケースも多く、ショービジネスとしての傾向も比較的に高い。
音楽ジャンルとして、国内で独自の進化を遂げるものも多く見られる。
(ちなみにミクスチャー・ロックというジャンルもあるが、これは日本固有の用語です)。
音楽を自らの手で選んで聴く、ということ。
事実、私達はJポップを聞いて育ってきた。
根底にキメラを飼っている私達は果たして、本当に自分で選んだ音楽を聴けているのだろうか。
あなたは、何の音楽が好きですか。
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