前略。今回はロックの項になります。
では、続けます。
ロックの海外と日本の流れ(戦後~'80年代辺りまで)
その様は正にJポップのキメラ化とも相対されがちなのだが、それに関しては後述(※⑨ 後でさらっと触ります)。そして
…ここで一旦区切ります。多分この辺りからJポップの潮流へと繋がります。
そしてこの日本語ロックを皮切りに従来のロック路線とはまた違う、新たなロックの独自路線が展開されていく。この流れが決定打となったのは1972年末辺りで、日本語と英語を混ぜた歌を歌ったバンドが商業的成功を納めている(ロック専門レーベルもこの頃に作られている)。
この辺りでロックとポップの境界線は揺らいだ(キメラ化の一助でもある)と言ってもいい。
閑話休題。
そして1980年代に入るとロックを日本語で歌うことは定着し、ヒットチャートや歌番組などもロック・ポップ・歌謡曲(ポップス)・演歌が入り乱れるようになる。
ロックが一般の耳に手軽に渡るようになると若者は挙って熱狂し、そしてその流れの中からカリスマ性の高い者達も生まれた。
今までと決定的に違うのは大衆も味方に付けているので社会現象にまで至ったことだ。
そしてこの追い風が決定打となり、ロックとポップの境界は確実にすり減っていき、ほぼ消失してしまった、と言っても過言では無いだろう。
今回はあくまでJポップの潮流を探ることが前提なのでロックの歴史について一度止めるが、この辺りにどうやらJポップのキメラ化の源流があるように思われる。
何故1980年代で話を止めたのか。
そこには(ロックを含む音楽が)Jポップに集約されつつあると同時に、音楽そのもの"以外"の様々な要因が[楔]となっていった結果、今現在のキメラ化したJポップとなっていったからである。
その理由については後半で説明しようと思う。