長く「遊ばせる」ゲームデザインの限界
ビデオゲームほどコストパフォーマンスに優れた娯楽はなかなかない。一度の購入で何百時間もプレイするゲーマーはざらで、繰り返し楽しめる構造はゲームならではの強みと言える。
それと同時に、ゲームは「水増し」が容易な娯楽でもある。単調なレベル上げをプレイヤーに長時間要求したり、面倒なアイテム収集を強いたり、わざと展開を遅らせることもできてしまう。
基本的には気に入ったゲームほどじっくり遊びたくなるものだが、プレイ時間の長さが単純にゲームの価値を示すとも限らない。このあたりが曖昧なためか、しばしばゲームにはプレイ時間を引き伸ばすような仕様が盛り込まれがちだ。
ネット上で息抜きがいくらでも手に入る今の時代と異なり、当時はプレイヤー側も何かと大きなゲームを求めていたところがあった。そういった中で磨かれたプレイ時間を伸ばす技術も、使い所を間違えなければ有用なものだ。
しかし長いスパンで遊ばせる仕組みのゲームは、時間が空くと自分が何をやっていたのか思い出せなかったり、プレイングの中断を想定していない場合が多い。後からストーリーの概要を読み返せればいいというような単純な問題ではなく、一旦冷めた熱を取り戻すのに時間がかかりすぎる。
では大きなゲームを作ってはいけないのか?という話ではなく、現代でも受け入れられている大作はもちろんある。代表例としてゼルダの伝説ブレスオブザワイルドを挙げておこう。
本作は従来のゼルダのような一本道の展開を捨て、かなり自由な順序でゲームを進められるよう設計された。広大な世界に様々な敵や謎解きが散りばめられているが、個々のイベントは比較的短く済ませられるよう小分けになっている。
いつでもセーブできて中断も容易い。1つの大きな体験にプレイヤーを縛り付けるのではなく、小さい体験を大量に用意して好きなリズムで消化してもらう構造だ。
総じてゲームというものは、短い遊びを小刻みに繰り返す方がかえって長く楽しめる傾向にある。テトリスのような単純な遊びが昔から愛されるのも、あともう一回、あともうちょっと...がつい止まらなくなる魅力があるからだ。
今の時代にゲームを長く遊んでもらうには「いつでもやめられて、いつでも再開できる」のが大事だと思う。全体として1つの大きな遊びの流れがあってもいいが、プレイヤーが自由に区切りを付けられる身軽さが欠かせない。
運営型ゲームの難しさ
現代的なゲームデザインの1つとして、オンラインでアップデートを続けながら息の長い話題性を狙うゲームが増えている。元々はMMORPGやソーシャルゲームなどから広がった手法と思われるが、現在は家庭用ゲームなどでもこういった運営を見る機会がある。
ゲームを長く遊べるよう工夫すること自体は良いのだが、最初から長く「遊ばせる」前提で設計している作品もあるように思える。例えばなかなか目的のアイテムが手に入らないガチャ的な仕様には、報酬をチラつかせてプレイヤーを手放さないように、という開発側の意図がしばしば透けて見える。
定期的なイベントなども本来ゲームを盛り上げるための機能のはずだが、イベントに参加しないと重要な報酬が得られず勿体ないと感じさせる作品も。現代のゲームは必ずしも好きなタイミングで好きな作品を遊べる訳ではない。
ゲームを遊ぶリズムが企業側に左右されることに不満を述べる声も時々聞こえる。プレイヤーのためではなく、作り手の都合で長期間遊ばせようとしていないか、日々姿勢を見直す必要があるだろう。
元々ゲームというものは、作り手がプログラムやパラメータ1つで自由にルールを決められる束縛の強いメディアだ。基本的に改造でもしない限り、プレイヤーは作品の指示に従うしかない。
そこにオンラインサービスの可能性が広がった結果、開発者はより自在にプレイヤーを制御できるようになってしまった、とも言える。作り手は想像よりも大きな権力を握っていることを自覚し、慎重にゲームを設計すべきだ。
時間の使い方はプレイヤーが決める
インターネットが当たり前になった現代、娯楽コンテンツは限りなく増加し続ける。ライバルはゲームだけではなく、あらゆる意味でユーザーの時間を奪い合う競争が激化している。
映画を倍速で視聴する人たちが話題になるなど、ユーザーが自分でコンテンツの消費速度を選ぶのが珍しくもない時代だ。そんな中、ゲーム文化がプレイヤーの時間の使い方にまで介入するのは限界があるだろう。
ゲーム側が長く遊ばせようと押し付けるほど、かえってお客の心は離れていくもの。積極的に決定権をプレイヤーに譲るようなゲームデザインが、今後は一層重要になっていくのではないか。
また家庭用ゲーム機の場合、基本的に複数のソフトを同時に起動できないので、気軽にソフトを遊び分けられないのもネックだ。スマホのようにアプリを切り替えるのはさすがに難しいかもしれないが、少なくともソフトの起動時間を短縮する努力は欠かせない。
ロゴや演出などが長々と表示され、最初のメニュー操作にたどり着くだけで時間がかかるゲームは何かがおかしい。まるで「このゲームを起動したらしばらく他のゲームに手を付けないでくれ」と縛っているかのようだ。
結局のところ開発者にできるのは、ただただ面白さや快適さを追求することだけ。本当の意味でプレイヤーのお気に入りに選ばれればプレイ時間は自然に伸びる。いつの時代も主役は遊び手であり、どれだけゲームをやり込むかはプレイヤー自身が決めればいい。
※本文は以上となりますが、有料部分にちょっとしたオマケを付けています。プレイヤー自らゲームの寿命を伸ばす、やり込みプレイなどの意義について少し語ってみました。
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