ひみつどうぐについて。(自己紹介のようなもの、その4)
「ドラえもんのひみつどうぐで何が欲しい?」と訊かれ、「どくさいスイッチ」と即答してどんびきされたことがある。高校生の頃だ。
そのとき会話をしていたのは私を含めて四人……正確には私以外の三人で盛り上がっていて、そこに私という異物が紛れ込んでいた。
彼らは友人未満だけど割と知ってる知人、要はクラスメイトで、たしかグループワークか何かのメンバーだった。
「リアルに考えて結局どこでもドアじゃない?」「いやスペアポケットは反則だろ!」と課題そっちのけで無駄話にふけっていて、ふと、会話の輪に入ってこない私が可哀想になったのだろう。三人の中で最も快活な女子が私に水を向けた。その結果この空気である。
三人のうち、どくさいスイッチを知らなかったと思われる一人(サッカー部的外見の男子)は私の発言に何の反応も示さず、知っている一人(これといった特徴のない(あっても思い出せない)女子)は一瞬固まってから失笑し、もう一人(快活)は「あー……」と言った。それから、「ぽいね」と。なんだ「ぽいね」って。
私の名誉のために言っておくと、どくさいスイッチが欲しいというのは嘘だ。
まあ欲しいといえば欲しいが、そこまででもない。お座敷つりぼりと同じくらいの欲しさである。
フィクションのアイテムにこんなことを言うのは野暮かもしれないが、どくさいスイッチにはカタルシスがない。
たとえばあなたに憎くて憎くて仕方ない相手がいるとして、彼ないし彼女が初めからいなかったことになって欲しいだろうか。
まあ欲しい人もいるだろう。
しかし私はそうは思わない。それじゃ満足できない。
憎い相手には可能な限り苦痛を味わったうえで、屈辱と後悔と怨嗟にまみれながら世界から退場してもらわないと意味がない。結果より過程が重要なのだ。
そういう意味ではころばし屋の方がまだ使える。長い階段を下りようとしているときに撃たせればいい。
どくさいスイッチが駄目な理由のもうひとつに、意外に実用性がない、という点が挙げられる。
借金取りが怖いからといって、そいつを消したところで違う人間が取り立てに来るだけだ。いじめグループのリーダーを消しても、どうせすぐ別の奴が成り代わる。
どくさいスイッチに借金を消すことはできないし、学校改革もしてくれない。それでもなんとかしたいなら、のび太よろしく「みんな消えちゃえ」するしかない。
どくさいスイッチが真価を発揮するのは、対象の存在自体が実害に繋がっている場合のみである(例:圧倒的なカリスマを持つ対立候補、弱味を握られ夜ごと妻を差し出している村長など)。
どくさいスイッチはつまり、感情ではなく実利で使う道具なのだ。それゆえの“独裁”なのだ。
そして私には今のところ、消したい人間はいても消さないと困る人間はいない。無用の長物である。
以上の理由で、私はどくさいスイッチをそこまで欲していない。
冒頭の質問に嘘をついたのは、軽い冗談のつもりだった。
「いやいやいや!どくさいスイッチて!ちょいちょいちょーい!」と突っ込まれることを期待していた。或いは「あーわかるー。数学の川野とか消してやりたいよねー」と話を膨らませて欲しかった。
むかつくから場を白けさせてやろうなんて思ってなかったし、「さっきからうるせえなこいつらどくさいスイッチでまとめて消してやりてえ」なんてこれっぽっちも(本当にこれっぽっちも)考えていなかった。ほんとだよ。
しかし私は自分のキャラを見誤っていた。私は“ガチでどくさいスイッチを欲しがっていてもおかしくない危険人物”と認識されていた。それがとんでもない誤解なのは前述の通りで、心外極まりはするが思われていたものは仕方ない。
故にスベった。恥ずかしい。
ちなみに、私が本当に一番欲しいひみつどうぐはバードキャップだ。できればフクロウ。
タケコプターでいいじゃん、なんて無粋なことは言わないでほしい。繰り返すが、重要なのは結果より過程なのだ。