ひとでなしであるということについて①(自己紹介のようなもの、その2)
小学一年生の頃の思い出。
その日私は、担任から、学校を休んだ女の子の家にプリントを届けて欲しいと頼まれた。その女の子と私は家が近所ではあったものの、特に仲がいいという訳ではなかった。
私は当時から人見知りで、親しくもない異性の家を訪ねることには抵抗があったが、教師の頼みを断る勇気もなく、渋々承諾し、渡されたプリントを確認した。
宿題のプリント数枚。授業参観のお知らせ。学級だより。おともだちからのメッセージ。
……メッセージ?
担任は言った。
「お休みした◯◯ちゃんに、メッセージを書いて渡してあげてね」
大人になった今なら分かる。担任は要するに「早く元気になってね」とか、そんな感じのことを書けと言っていたのだ。
しかし幼く無垢だった私は、悩んだ。
学校に来たところで一緒に遊ぶ訳でもなく、会話を交わす訳でもなく、言ってしまえば休んだところでこちらには何の不都合もない、なんなら給食の取り分が増えてありがたい、そんな相手に、いったいどんなメッセージを書けばいいんだ?
私は考え、考え、そして書いた。
「かぜ?けが?それともただのけっせき?」
なにひとつ関心のない相手に対して、唯一辛うじて興味を持てたのがそこだった。
書き終わったとき、丁度担任が私の机の前にやって来た。担任は私の書いたメッセージを読むと、少し黙ってから、
「風邪です!」
と大きな声で言った。怖かった。
私はお役御免となり、プリントは別のクラスメイトが届けに行った。
私は今でも、当時の自分が間違っていたとは思わない。しかし、正しさにはいくつも種類があって、私のそれはマイナーな正しさであることも知っている。
私が思う「誠実さ」は、世間一般とやらに言わせると「薄情」になるらしい。
感情と無関係な「早く元気になってね」のような、表面上の優しさや意味のないお約束で、人間関係というものは回っているのだ。「んなもん止まっちまえ」と吐き捨てるには、私は世間に揉まれすぎた。
ただ、吐き捨てる機会があればいつでも吐き捨てられるよう常に痰は溜めているし、そのことを密かに誇りに思っていたりもする。
そして、そんな自分を心の底から軽蔑している。