自慢話や他人と比較ばかりしている人にウンザリしたら「暇で自信がない人なんだな」くらいに思えばいい
いつも自分の話ばかりする人がいる。
いつも自慢話ばかりする人がいる。
いつも他人と比較してばかりの人がいる。
――― このような人たちは「自信がない」のだと思う。
自分の話ばかりになるのは、自分という存在に確証を持てないから。
他人に自分の話をすることで、自分がしてきたこと・感じていることをカタチにしようとする。
自慢話ばかりになるのは、自分で自分の価値を定めることができないから。
他人に自分の凄さを喧伝することで、自分は価値ある存在であると示そうとする。他人に認めてもらってはじめて自分の価値が定まる。
他人と比較ばかりするのは、自分の生き方が不安定に思えるから。
他人と比較することで、人と同じであることに安心感を抱いたり、自分がまだマシであることに優越感を抱くことができる。
――― これらに共通することは、
「他人を経由しないと自信がもてない」
ということである。
別にこのような生き方や考え方を非難するつもりはない。
むしろ、自分のことを伝える(アウトプットする)ことで、自分と言う存在を振り返ることができるし、他人と比較することで自分の至らない点に気づくことができる。
しかし、それにも限度がある。この限度を超えた状態の人たちが、現代には沢山いるのだと思う。
SNSという情報発信およびコミュニケーションツールが発展したことも、このような心理を抱く人たちが多いからだろう。
しかし、他人を経由しないと自信がもてないまま、いつまでも自分の話ばかりしたり、自慢話ばかりしたり、他人と比較してばかりしていても、決して人生は好転しない。
むしろ、これらの状態から脱却する努力をしたほうが健全ではないか。
実際、自信がある(ように見える)人は、冒頭とは逆の振る舞いをする。
つまり、自分語りはほどほどに、他人の振る舞いも参考程度にする。自分のことは語らない、他人との比較も全くしないという人もいる。
なぜこのような振る舞いができるのかと言えば、「自分の人生を他人軸にしていない」というだけだ。
また、口で語るよりも行動している時間が長いのだろう。自分のことや自慢話している暇が合ったら、自分が没頭できることに時間を費やすのだ。
それは他人との比較も同様であり、「こんなことしたら変に思われるのでは・・・」「もっと上手にできる人がいるだろう・・・」といって自分がやりたいことに二の足を踏んでいる暇があれば、とっとと手を出す。
確かに自分語りは楽しいし気分が良い。しかし、それ以上に好きなことや興味のあることに時間を費やすことのほうが楽しいことを知っているのだ。
その結果として、自分語りもしないし、他人との比較もしない。見方を変えれば、自分語りばかりの人や他人と比較ばかりしている人は「暇」なのだ。
そのような人が語る話や、比較ばかりの生き方を、果たして自分は魅力的だと思えるのだろうか? 自信を得ることができると思うだろうか?
他人の話や自慢話を聞くのはウンザリするだろう。いつも他人と比較ばかりして感情的になっている人も迷惑だ。
しかし、このような人たちとも関わらざるを得ない。
そのようなときには「この人はきっと自信がなくて、暇なんだな」くらいに思えばいい。
何だかバカにしているようだが、自分の貴重な時間を割いて(聞いてもいない)話を聞いたり、感情的になっている人に付き合っているのは、心身を消耗する。ある意味での防衛策は必要だ。
また、自分自身を振り返って「いつも自分の話ばかりだな」「いつも他人と比較してばかりだな」と思うならば、考え方やあり方を変えるきっかけになれば幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。