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ただの「雑談」を「協議」へ昇華しよう
業務中にスタッフ同士で”何となく”話し合いが始まることがある。
これは果たして「協議」なのか?
あるいはただの「雑談」なのか?
この区分はかなり曖昧である。
別に「余計なおしゃべりをしている暇があれば、手を動かせ!!」なんて漫画に出てくる上司のようなセリフを言うつもりはない。ちゃんとやるべき仕事を果たしていれば良い。
一方、横で話を聞いていて「進展のない話し合いをずっと続けていて、時間がもったいないと思わないのかな?」とは思う。
たぶん、そのようなことは思わないのだろう。それは、話し合いをしている当人たちは「このような話し合いも仕事のうち」と認識しているからだ。
しかし、経営を担っている立場としては、そのような”何となく”の話し合いを業務中にいつまでも続けていることは看過できない。
それは、”何となく”の話し合いで価値創造につながることはないからだ。
仕事は価値創造することで社会貢献し、それによって対価として金銭を得る。それが売り上げであって、そこから給料などを支払われる。
この理屈から言えば、価値創造につながらない”何となく”の話し合いは仕事とは言えない、ということになる。
つまり、当人たちは仕事と思っているかもしれないが、仕事という観点から考えると"何となく”の話し合いは「雑談」という位置づけになる。
このように言うと雑談を否定しているように見えるが、そうではない。
雑談によってストレス発散したり、新しい気づきや発想が生まれることはある。一方、長くなるほどにそのメリットは低下するものだと思う。
実際、”何となく”始まった話し合い(雑談)を眺めていると、
ただ同じことを繰り返していたり、
お互いに共感し合っているようで違う目線で話をしたり、
課題解決のようで結論や方針を出そうとしなかったり、
ひどく非生産的に見える。
例えば、次のような話し合い(雑談)をしている。
「業務管理システムの使い勝手が悪くて時間がかかる」
「自分だったら、今の手順よりも効率的にできる」
「スタッフのAさんはお客さんの対応が悪い」
「この間、スタッフBさんが仕事中にスマホゲーしているのを見た」
生産性の向上を謳っている時代において、雑談をいつまでも続けていることはエネルギー効率から見ても無駄であると言える。
では、雑談を無駄と見られないようにするためには、どうすればいいのか?
それは「雑談」を「協議」へ昇華すればいいだけだ。
具体的にどうすれば良いのかをお伝えする前に、”何となく”の話し合い(雑談)の問題点を挙げてみる。
① 時間制限がない
② 結論を出そうとしない
③ その場に判断者がいない
話し合い(雑談)をしている当人たちは仕事と思っているのだが、テーマや所要時間が曖昧であるうえ、何かしらの結論を出すことが目的でなく、話すこと自体が目的でないため、話し合いがループする。
そのようになってしまうのは、その場に「では、その問題はこうしましょう」という判断や決断できる者がいないからだ。
そのため、ただ不満や愚痴を言うだけ言って空中分解して終わる。だから時間が経つと、また同じ話を繰り返す。何たる不毛さよ。
だからこそ、上記の逆をするのだ。
「雑談」から「協議」の場をセッティングすればいい。
つまり、「ここが問題ではないか?」「こういう風にしたら良いと思う」というある程度の雑談を済ませたら、職場の上司に伝えて「〇〇の件について相談(提案)があるのですが、話し合いの時間を設けてもらえますか?」と言うのだ。
すると自然と時間が決まる。上司もやることはあるので、「✕時から30分くらいなら話ができるよ」といったように時間制限もできるため、話し合うことだけでダラダラ時間をかけることは予防できる。
そして、上司を話し合いの土俵に上げるからには、その話し合いでそれなりの結論や方向性を見出ださなくてはいけない。つまり、話し合いを価値創造のための場にするのだ。
最後に、自分たちが提示した課題や提案に対して、上司が判断者となって「こうしてみたらどうか?」「その内容でいいと思う」といった採決がなさされる。これが指示になる。
何だか面倒くさいと思うかもしれないが、一般スタッフ同士で、職場の隅や給湯室などでダラダラ愚痴っているよりは前進する。
これが「雑談」ではなく、仕事としての話し合いである「協議」である。
給料をもらって価値創造できる話し合いに持っていける人こそ、給料をもらって価値創造できるプロフェッショナルだと思う。
おそらく本記事を読んだ方々の多くは、「面倒くさい」と思っただろう。
何なら「いや、別にそこまでしなくていい」「もう雑談と呼ばれてもいいから好きにしてほしい」と嫌な顔をされるかもしれない。
実際、職場の課題や仕事の改善点を持っているのに、それを「アレが悪い」「こうしたら良いのに」と雑談で終わらせる人は多い。つまり、プランはあるが行動しないのだ。
その理由は明白である。
それは、愚痴や不満を主題に雑談しているほうが楽だからだ。
ネガティブなことを共感し合っていたほうが楽しいからだ。
もしかしたら、課題や提案を上司に伝えたり、実際に行動したいと思っている人もいるが、そこで「保身」を優先してしまうこともあろう。
――― 自分が上司に言ったら告げ口したみたいに思われたら・・・
――― 良かれと思って改善してみて失敗したら・・・
こうして、いつまでも雑談レベルで終わって、自己成長も改善することもなく悶々とする日々を過ごすわけだ。
別にそれでも構わない。それだって1つの生き方だ。
しかし、「雑談」で語っていることを「協議」という場に移すだけで、その価値は一気に上がることだけは伝えておきたい。
それだけのアクションで、今まで悶々としていた気持ちは晴れて、自分も職場も改善する第一歩を踏み出せる可能性がある。
愚痴や不満という雑談に興じて、一向に前進しない自分は素敵か?
他人の目を気にしたり失敗を恐れても、なお前進しようとする自分のほうが素敵か?
それを選ぶのは自分自身である。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのやめた方へも、感謝。