「やりたいこと」って忙しい中でこそ、やったほうが良いと思う

「やりたいことがない」「好きなことがない」と言う人がいるが、細かく聞いていけば結構見つかる。

「やりたいこと」は、別に社会的に意義のあることでなくていい。
極端なことを言えば、「毎週ジャンプを読む」「ローソンの新発売のスイーツを食べる」だって「やりたいこと」だ。

「好きなこと」は、何も他人に賞賛されるテーマでなくてもいい。
そもそも「好き」とは誰か見せる前提のものではなく、むしろ人知れずにやることだと思う。

一方、「やりたいこと」「好きなこと」があるけれど「時間がなくてできない」「忙しいからできない」という人がいる。

変化が激しく人間関係が複雑な現代において、仕事やプライベートで自分のための時間を確保することは困難であることは分からなくもない。

しかし、よくよく聞いていると時間はあるし、言うほど忙しくない様子がうかがえる。もちろん、これは客観的な意見であるので、実際の感覚は当人に委ねるしかない。

それでも、ふとした余暇ができたときに何をしているのかと言えば、何となくスマホを眺めたり、どうでもいい話し合いや飲み会に参加したりと、受動的な娯楽や人間関係で自分の自由を失っている。

まぁ、このような時間も必要だと言えば必要かもしれない。しかし、このような時間の使い方も含めて「忙しい」というものの、それは「やりたいこと」「好きなこと」ができない理由にはならない。

むしろ私は、忙しいときにこそ「やりたいこと」「好きなこと」をやったほうが良いと思う。これは「思い切って休む」ということも含まれる。

私は日々何となく思考していることをアウトプットするのが好きである。
それでnoteという媒体を活用している。

毎日投稿しているのは、「やりたいこと」「好きなこと」だからだ。
もちろん、無理はしていない。文量は肉体のコンディションや仕事量によって少なくしたりする。

ちなみに、最近では運営している介護施設でコロナ感染が出ている。施設内は感染が広まらないようピリピリしているし、陰性でも体調不良の職員が出ているので毎日出勤している状態だ。

正直、現場業務でヘトヘトになるが、その間にも経営全般の業務や教育、業務改善を進めている。これでさらに脳疲労が加速する。

・・・が、そんな中でもnoteへの投稿を続けている。別に意地でやっているわけではない。義務でもないから投稿しなくても問題ないが、1日の終わりに時間があれば「今日もやっとくか」くらいに思うだけのこと。決して大げさな取り組みでもない。

それでも、忙しいと呼ばれる状況下でも「やりたいこと」「好きなこと」は空き時間に少しでもできると自分自身で実証しているので、忙しいことを言い訳にしない自分自身への訓練になっているのかもしれない。

別に私がそうだからといって、時間術を駆使して無理やりやる必要はない。
それだと「好きなこと」ではなくなってしまう。

日々のふとした時に「やりたいこと」「好きなこと」を「少しでもやっておくか」と毎日5分でも手を出しておくことが、1年後、3年後となったときに、習慣とか特技とか言われるものになっているのではないだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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