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生産性の向上は大事だが、過剰生産や廃棄ロスにも目を向ける必要がある

■ 生産性の向上と労働者のメリット


ここ数年で「生産性の向上」という言葉を耳にする頻度が増えた。新しいビジネス用語は次々と出るが、実のところ既存の用語と言わんとすることはあまり変わらないように伺える。

目的や意味から考えると、それ以前に使われていた「業務効率化」という言葉と大きな違いは見られない、経営的というか資本主義的な視点の話だ。
言わんとすることは、結局のところ「なるべくコストと時間を減らして、より利益を増やしたい」という考えである。

また、生産性の向上であろうが、業務効率化であろうが、業務改善であろうが、労働者からするとメリットは皆無に等しい。
と言うのも、生産性の向上というのは、設備を導入したりデジタル化を進めたりしても、総合的な労働量が減るわけでも、休憩時間や休日数が増えるわけでもない。

気が付けば、今まで1日かけて十分こなせていた労働を、設備やデジタル化によって倍の成果を出せと言われるようになっている。それは相対的に見れば、やることが増えたのと変わらないとも言える。


■ 生産性の向上の結果は?


誤解のないように言うと、生産性の向上や業務効率化などを否定しているわけでもないし、設備導入やデジタル化を控えるよう言いたいわけでもない。
また、「経営や資本主義的な考えは非人道的である」などと言いたい訳でもない。そもそも、私は介護事業の経営に携わっている立場のため、これらの考え方を否定しようにもできない。

何が言いたいのかというと、生産性の向上の取り組みが、結果としてちゃんと利益につながっているのか? という疑問である。
生産性の向上の取り組みとして、直接的あるいは間接的に労働者に負担を強いることもあるが、それが成果につながっているのだろうか? とも言える。

もちろん、この手の業務改善はすぐに結果は出るものではない。それでも、せめて労働者から「仕事が楽になった」「職場がクリーンになった」などの前向きな感想が聞ければ良いが、何だか「生産性の向上」という言葉が独り歩きしているように伺える。

社会においては用語が独り歩きすることはありがちだが、それで抜本的に業績や社会が良くなったという事例は少ないように思えてならない。


■ 生産性向上の先にある「過剰生産」


ここまでは、生産性の向上および労働者の負担、そして利益という成果を軸に考えてみたが、そこまでして生産したものは、果たしてちゃんと売れているのだろうか?

もちろん、ある程度の販売見込みをもって生産量を決めているだろう。
しかし、世の中を見渡すと「過剰生産」ではないかと思える。

確かに売れるための戦略や広告はしているが、商品棚を見渡せばどれも似たり寄ったりのモノ・サービスで溢れかえっている。
そのため、一部においては品質や独自性よりも、最初から価格勝負(安ければ良い)になってしまっている。

価格勝負ということは薄利多売となるのが自然なので、「どんどん生産して安く売ろう、たくさん売ろう」となってしまう。おそらく、こうして過剰生産は加速するのだろう。

とは言え、これは何も工場などで商品生産する分野に限ったことではない。
サービス業だって施工業だって「ウチでは安く・幅広く・たくさんできますよ」というPRが多い。これもある意味で「過剰生産」と言える。
これは介護施設を運営していると、よく思う。


■ 過剰生産と廃棄ロス


さらに深掘りしていくと、どの企業も過剰生産しては似たり寄ったりのモノやサービスを提供するため、売れなかった商品はディスカウント行きになるか廃棄される。

つまり、生産性の向上と労働者の負担増によって過剰生産された商品は、結果的に「廃棄ロス」という終着地点に辿り着く。

もはや、資源の無駄以外に言いようがない。
いっそ、何も生産しないほうがマシというものだ。

何だか極論で暴論のように思われるかもしれないが、食品廃棄問題という社会問題からも分かるように、貴重な資源を活用して生産しているのに、それを消費することなく廃棄するのが当たり前になっている。

もちろん、このような問題を控える動きは出ている。しかし、その一方で生産性の向上と言って生産を加速している。それは過剰生産となり、廃棄ロスも加速していることとも言えないか。


■ ”量” の追求をやめる


再度お伝えするが、何も生産性の向上を否定しているわけではない。
生産性の向上は、生産工程やサービス手法を刷新でもあり、これまでの働き方を変えるチャンスでもある。

しかし、経済成長は鈍化しているし、労働者はどんどん長時間かつ低賃金のままで疲弊している。・・・これはおかしい話ではないか?
おそらくだが「たくさん生産すれば、たくさん売れる」「たくさん働けば、たくさん賃金がもらえる」というバブル期のような発想が残っているからと思われる。

まずは、「たくさん」という ”量” を追求するビジネスモデル、そして働き方から脱却することが先決である。
生産性の向上も確かに大事ではあるけれど、いつまでも "量" を追っていては労働者は倒れていくし、資源だって枯渇してしまう。

そうならないためには、生産者であり消費者でもある私たち人間が「本当に必要なものを、必要な分だけ求める」という生活スタイルにすることも必要である。
それはつまり、過剰生産の防止であり、言い方を変えれば現状の過剰生産の「縮小する」という話でもある。これにより、売上は落ちるかもしれない。

しかし、(無責任な言い方となるが)利益は大きく変わるのかと言えば、実際のところそうでもないと思う。むしろ、本当に必要な分を必要量だけ生産したほうが利益は確保できるかもしれない。



―――別に社会に対して物申したいといかいう話ではなく、来年度に向けて試算やら資金繰りなどしながら思っていたことをズラズラと書いてみた次第だ。

 本記事を読まれた方の中には「もっと経営を勉強しろ」とか「生産業でもないくせに好き勝手言いやがって」などと言われるかもしれない。それはごもっともである。

しかし、冒頭でもお伝えしたように、ここ数年でビジネス用語や考え方は数多にあれど、結局のところやっていることは変わっていないし、いつまで経っても ”量" を追求しているようではジリ貧になると思うのだ。

となると、いっそ現状のビジネスモデルや "量"に重きをおいた働き方を手放す、むしろ逆の路線を行っても良いのではないか?と思うのだ。そのような企業や事例を探してみるのも、面白いかもしれない。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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