台湾周遊と15本のブローニー
パブロンとイブ。欲を言えばロキソニンがよかった。それからビオフェルミンも、有るか無いかでいえば絶対にあったほうが良かったと今になって気がつく。
ひょんなところから年末年始の10日間を台湾で過ごすことに決め、格安航空の往復旅費の相場が4~5万円のところ、大急ぎでチケットを買い求め3倍近い額を支払うことになった。それでも、年末ボーナスを銀行口座で眠らすくらいならと思っていたし、年の締めくくりと新年を誰かと旅して過ごすのも薮坂ではなった。
ただ、不完全な体調で日本を発つのだけはどう考えても薮坂だった。空港到着目前にパスポートを忘れたのに気がつき家まで取りに戻った。まだ体調が優れないから、よりどりみどりで手のひらいっぱいの錠剤をひと飲みした。空港で仮眠をとると、思いのほか気は和らいだ。
台湾に到着してから3日ほどの間は、夜になると微熱が顕れ、慣れない旅先で重くなった体を祟った。そのそばで眠る同行の彼も、物貰いか食あたりかで初日は宿舎のトイレに篭っていた。お互いとんでもなく不運なスタートを切ったものだ。
体調が落ち着き始めたのは、台北から南下を続けた先にある高雄に着いたころ。獅甲站からDream Mall付近の歩行者天国に出向き、道路に腰を下ろして年明けの瞬間のカウントダウンの花火を見ている時分では、とっくに体調のことは気にならなくなっていた。異国の地で異国の人々とその瞬間を共にしたけれど、皆々がこの瞬間だけは一つになるような気がした。
高雄に着くそれまでの台中・台南の記憶は少しだけ霞みがかっていて、どこかの記念公園にいったとか、清朝・日本統治時代の遺構建築物を見たとか、思い返す今ですらあんまりなくらいに断片的になってしまっている。
全快の状態を迎えた頃には、旅も終盤にさしかかり台湾を反時計回りに3/4回った台東に着いていた。
西部の都市と比べれば鄙びた雰囲気で、日本の地方都市に来た時のように要所々々の距離がいささが遠い。だが変わらず英語や日本語が通じやすかったのは、やはり台湾だからこそなのたろう。
何より驚いたのが一番日本人に出会ったのもここ台東なのだった。振り返ってみると、ドミトリーばかりに泊まっていたから、宿場ごとに出会いはあってその中にもちろん日本人はいたのだけれど、こうも矢継ぎ早に出会うのは早々なかった。それと同時に、私たちが巡ってきた場所についていえば、観光案内に記されるような場所は殆どと言っていいほどになく、雰囲気とフィーリングだけを頼りに右と左を、そして泊まる宿すらも毎日直前に決めていたくらいで、それは当然旅行者に会うことも少なかったことだ。
そんな台東のバーで、台湾人と日本人の若いご夫婦に出会った。私たちが日本人だと分かると、台湾人の奥さんが喜ばしげに声をかけてくれて、一杯で手を止めようと思っていたグラスも気がつけばちょっした眠気を誘うほどに重なっていた。
台中在住のご夫婦も台東を観光中ということで、翌日は彼らの車に乗せてもらい一緒に名所を巡る一日となった。道中、台湾の選挙戦の話や中国との対立関係のこと、中国語と台湾語のニュアンスの違い、ここまでに台湾を巡って来て気になったことなど、たくさんの話を聞かせて頂いた。沖縄のリゾートバイトで出会ったというお二人で、奥さんは元ホテルマンだという。そのホスピタリティ充ち満ちた性格から、私たちのどんな問い掛けにも丁寧に応じてくれた。
右に行くのも左に行くのも気まぐれにやってきたからこそ、こんな幸運な出会いにあやかることが出来たのだろう。同行の彼は、ご夫婦の写真をたくさん撮ってあげていたが、重っくるしいカメラをぶら下げた私にはそれが出来なかった。今になって少しだけ後悔している。
台東から台北までは快速列車で4時間ほどだった。ご夫婦と別れた後、そのまま台北に直行するか花蓮や宜蘭に立ち寄るか同行の彼と相談した。
台湾を一周するのだから、ぜひともいずれかには立ち寄っておきたいと私は言ったが、旅程を考えるにそれだと宿で一晩過ごすだけになりかねない、それならば帰りの便の空港に近い台北に行ってしまい最終日の1日を有意義に使った方がいい、というのが同行の彼の考えだった。
彼の考えはいつも的を得ていて、極めて当意即妙だとおもった。反対に、それを素直に受け止められないわがままでエゴだらけなのは一体誰なのだろう。
そのエゴ故に、最終日の台北では別々に行動することにした。
台東から台北に着いた夜は1人ナイトクラブで踊り続けて、翌朝は好きなだけ街をスナップして回った。爽快だったし何一つ息苦しさもなかったけれど、二人でいる分、生みでる発見もアイデアも旅先での効率的な動き方もより一層多くなることに気がついた。反対にまたこうした良い点にも思い至った。頭の中うだうだと考えて、誰に吐き出すでもなく自爆してしまうのがいつものオチだったのだけれど、最終日にこうして別行動しようと提案できたのも、自身の心理的安全を確保しようと意識できた結果なのだった。いや、なんたる成長。
帰国したのは1月6日の早朝1時だった。出勤時刻はその後の6時半で、ものの数時間の仮眠ののち成田からスタジオへ直行した。あぁまたこれが始まるのか、と思ったけれど、心はどこか涼しかった。ここに在らず、と言った具合だ。確かにここにはもう心はない、と思った。夏目漱石のいう「諦念」のような心持ちだった。10日間の台湾周遊は、私の心にそれを持たせてくれた。余計なもの、重荷になるものを剥ぎ取ってくれた。写真がどうとか、将来がどうとか、効率がどうとか、全てに整いが訪れたように思た。
これも、台湾の道教のお寺でたくさんお祈りしたおかげだったりするのだろうか。さて、これでようやく明けましておめでとう、だ。