ぶたまん

小さい頃、いじわるだけど、兄のことが大好きだった。
どんなに暴言を吐かれようと、あっち行けよ、と突き飛ばされようと、わたしは、兄についていった。
兄が本当は優しいことを知っていたから。
父と母がいないところでは。

「おかあさん、どこにいるの?」
わたしは、たくさんの大人にもみくちゃにされて、泣いていた。
毎年11月、家族で出かけているさかな祭り。
新鮮なお魚をその場で買って食べたり、一匹まるごと競り合って購入したりできる。
お魚の他にも、子供がよろこぶような景品を揃えたくじとか、たこ焼きや焼き鳥のような屋台とか、夏祭りとか地域の祭りと変わらない出店も多く、賑わっていた。

父と母とはぐれて、迷子だった。
2歳のわたしには、知らない大人ばかりの中にいるのは、心細かった。白雪姫が知らない森の中に逃げ込んで恐怖を感じたのと同じだった。

「だいじょうぶ、おにいちゃんがおるけん」

隣で、2歳年上の兄がわたしの手を握った。そして、わたしを元気づけようと、肉まんを買ってくれた。
母からお金をもらっていた兄は、大人の手からしたら小さな、でも子供のわたしたちからしたら大きな肉まんを半分にわけて、わたしにくれた。

暖かくて、おいしくて、肉まんが冷えた体を、空腹だった胃を、満たしてくれた。
兄と道端にしゃがんで食べたその記憶は、いまでもわたしの脳裏に焼き付いていて、たぶん、これから先一生忘れることはないだろう。

すっかり元気になったわたしは、兄の手を握ったまま、兄と人ごみの中へ入っていった。

「おにいちゃん、あれほしい」

わたしは、ある出店の前で立ち止まった。
そこには、当時流行していた『たれパンダ』のぬいぐるみが飾ってあった。
くじのお店で、二等賞の景品だった。

兄は、「わかった」と意気揚々と、出店のお兄さんにお金を渡して、くじを引いた。

「おめでとう」
とお兄さんの優しい笑顔。と、一緒にあのたれパンダのぬいぐるみが兄の手に。
一発で当てた。
「はい」
と手渡されたぬいぐるみを、わたしは両手で力一杯抱きしめた。
「おにいちゃん、ありがとう」

その後、無事に父と母とも合流して、わたしは、兄にしてもらったことを興奮気味に話した。
母に褒められた兄は、「だって泣いてうるさかったけん」と、照れたように、ぶっきらぼうに言った。いつものいじわるな兄に戻っていた。

あれから、20年以上の月日が経った。
あの頃のように、無邪気に「おにいちゃん、だいすき」と言うような年頃ではなくなった。
大人になったんだと思う。すきとかきらいとか、そんな感情ではなく、家族として大事に思っている。
わたしと兄は、いまでも月に2回は会うほど、仲がいい。

#ノンフィクション
#小説風
#兄妹
#遠い日の記憶

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