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記憶は頭ではなく身体に残る。だから覚えなくても大丈夫。

父方の祖母は80代。

遠方にある父の実家は、夏休みと冬休みに両親に連れられて泊まりがけで行く場所でした。
父方の家系に遺伝のルーツを強く感じる私にとってそこは居心地良くて、長野で暮らすようになってからもたびたび訪れていました。

家事と畑仕事で常にせわしなく動いていた祖母は、身体が自由に動けなくなるとともに記憶も曖昧になってきています。

夏の訪問

2019年の夏、お盆休みを利用して親族が祖母宅に集まりました。

祖母は「物忘れが激しくなった」という自覚はあるので、わからないことを分からないと言って何度でも「あんた誰やった」と聞いて来ます。
そのたびに同じ説明を何度でも繰り返し返事します。

一緒に住んでいないからこそ余裕を持って相手ができる、という一面はもちろんあります。
近くに住んでいる叔父は身の回りの世話をしつつもあまり顔を出しません。少し離れた場所に住む従姉妹が定期的に通って病院に連れて行ったり面倒を見ている様子です。

元々物が捨てられない性格で片付けの苦手だった祖母なので、日常生活が回らなくなると手入れのされないキッチンや水回りは荒れ気味、風呂場は完全に機能していない状況。

叔父宅までシャワーを借りに行くんですが、普段の暮らしぶりが良くて(笑)湯船に浸かりたい父の提案で、近くの温泉に行くことになりました。

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当然、女性の私たちが祖母の入浴についていくのだけど、普段面倒を見ているわけではないので、注意点や何に気を付けたら良いのかもわからない中、なんとか祖母と会話を繰り返しながら誘導。

幸い、祖母は時間がかかっても着替えとトイレは自力でできるので、とにかくすべて祖母のペースで付き添うのみ。

私たちとの関係性が思い出せなくても身内だというのはわかるようで、遠慮せずに「ああして」「こうしたい」と言ってくれるのが助かりました。
背中が痒いといえば背中を流し、首回りや足の垢が気になるというので気が済むまでこすって落としたり。

大浴場の大きなガス張りの湯船から、満月を見ました。

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綺麗だねぇ、って話して眺めたこの時のことを祖母は明日まで覚えているかも分かりません。
私だっていつか忘れてしまうかもしれない。

でも今こうして同じ場所から満月を眺めたことは事実。

そして、体験したことや感情が動いたことは、記憶に残らなくても身体の細胞に残るように私は感じます。

一緒に温泉に行って良かったね、おばあちゃん。

祖母の気が済むまでかかった長い入浴から出ると、一人でのん気に待ちくたびれていた父の姿(笑)。

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全員分の飲み物を出してもらいました。

翌日。

「温泉?あんたらと?」って、案の定忘れている祖母。
でも私がはっきり覚えているうちにこうして書き残しておいたから大丈夫。

春の訪問

2020年3月、春休みの期間に私は有給を利用して祖母宅へ。

実はこの時期、父が祖母宅(父にとっての実家)に長期滞在する予定で、それに合わせて関東に住む叔母や私の妹家族も顔を合わせる予定でした。
特に妹の子供たちはまだ小さく、ひいおばあちゃんにあたる祖母には会ったことがなかったのです。

ところが、例の感染症拡大の影響により全員が大事を取って遠出キャンセルすることになってしまいました。
祖母が思うように動けなくなってから、食事やお風呂、布団の用意まで自分たちで勝手にできる間柄でないと泊まりがけで滞在するのは難しいので仕方ないです。

私はギリギリまで迷ったものの、単身だったこととせっかく立てた予定だったので行ってきました。

夏の時点で祖母の認知症はかなり進行している感覚でした。
半年以上経過した今、名前が通じないかもしれないし顔も覚えていないかもしれない。そんな覚悟で出かけました。

叔父と従姉妹には事前に連絡しておいたものの、それぞれ仕事や予定で不在の昼間は祖母1人。鍵のかけられていない玄関をガラガラと開けて「おばあちゃん」と声をかけて上がっていきました。
祖母はびっくりしたような表情の次に、「あんた、来たんか」って嬉しそうな表情。思ったよりずっと、というか夏よりもずっとしっかり私を認識している様子で安心しました。

まだ肌寒さの残る3月で、南側にある縁側の外にはさらに物置の屋根があるため、天気が良くても肌寒い居間。

祖母が入っていたコタツに、向かい側や横じゃなくて、同じ辺に並んで入りました。
叔父が用意して行ったお弁当を食べていた祖母は「食べるか」と私にもすすめてくれたけど、食べかけで食べこぼしも多い祖母のご飯はちょっと一緒にはできなかった。ごめん。
薬は飲んだ?お茶も飲んでね。って、声をかけるたびに、えへへってちょっと嬉しそうに笑う祖母。

長野から。へぇ。遠くから。
朝早くから疲れたやろ。
汽車か。車か。
今年は雪が降らんくて雪すかしをせんですんだ。
仕事は?休みか。
あんた、どこの子やった。(父の名)の子か。

同じ会話を何度繰り返しても、何度も何度も付き合います。

やがてうとうとしてきた祖母に、横になって休んだらと言うと「あんたも寝るか」って言うので、じゃあちょっとだけって形だけ横になったら、コタツ布団をかけてくれようとします。
肩が出ていると気になるようでコタツ布団を何度も上まで引っ張ってあげようとしてくれるから、座り位置を変えてコタツに潜り込み、座布団を祖母の枕と同じ位置にして、並んで横になりました。

「疲れたやろう」

目が合うたびに、入れ歯を外して支えのなくなった口元でえへへって笑う祖母。時々、私にかかる布団を直してくれたりしながら添い寝。

スマホ片手に、祖母が寝たらTwitterやnoteを見て過ごそうと思っていたけど、なんだかそのまま横になった視点で、変わらないこの居間を眺めていました。

縁側に通じる障子は、妹たちとふざけて鉛筆で穴を開けて遊んでは怒られた。

ふすまの上のある飾り木の仕切りが不気味で、眠れない時は大人たちが起きている隣の和室の明かりがそこから漏れて天井に不思議な影を作っていたのをずっと眺めていた。

廊下の扉をあけてすぐにある階段の支柱にポールダンスのようにぶら下がって遊んで祖父母の肝を冷やした。

子供と遊び慣れない祖父が、それでも一生懸命トランプの相手をしてくれた。カードを扇状にうまく持てなくて、机の上で麻雀みたいに並べて持ってた。

そんなことを思い出しているうちに私も少し眠ってました。

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横になったコタツからの景色。
(祖母の姿はトリミング)

目覚めた時、祖母が隣に横たわる私を見て「あんた誰?いつの間に!」ってビックリしないか気になったけど、それは大丈夫でした。
やっぱり、記憶はあやふやなようでも残っているんだと思います。
その境界線は本人にとってももうコントロールの難しい把握しきれないものかもしれないけど。

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別れ際、手を握りながら「もう帰るんか」「買い物一緒に行かんか」って名残惜しくしてくれた表情は忘れられないです。

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近くに住んで身の回りを見ている従姉妹と連絡を取りながら、祖母が気弱になったり不安になったりしながらも変わらず過ごしていると聞いています。

行き来ができるようになったらまた行くから、その時まで、まだまだ元気でいてね。

記憶は、頭ではなく身体に残るもの、そしてここにも書き残したよ。
だから覚えなくていい、すぐに忘れてしまっても、私は覚えているし何度でも答えるから大丈夫。
また温泉に行って嬉しい時間を共有しようね。嬉しそうにえへへって笑う顔を見せてね。

早く、往来の自由が戻ってきますように!

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ケイ
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