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『大地の恵み、優しさの恵み』~香り高いニラ餃子~

「クサい、もう限界」

夕方になると山から涼しい風が吹き下ろしてくる。

ベランダに広げた折り畳み椅子に、ビールとスマホを持って腰かけた。
プルタブをプシュっと開けて冷たい液体をグッと喉に流す。身体に溜まった今日の疲れと感情の不純物が、一気に流されていく。

風が日中の蒸した暑い空気を入れ替える。
大きな空気の塊が目の前にある畑の農作物を揺らし、田んぼに伸び揃った稲穂に帯のような波を立て、その先にある雑木林をざわめかせる。

8月。

夕暮れは、夏が一層ずつ秋に刷り替わっていくように感じる。

畑に立つ近所の奥さんがこちらを向いているような気がして、軽く会釈をした。伝わっただろうか。
相手も会釈をしたように見えたけど、腰を屈めただけかもしれない。
分かりやすく、手を振ってみた。なんと相手も手を振り返してくれた。
ベランダの風とビールに気分良くなって、すこし開放的な気持ちだった。

もう一度、スマホに目を向ける。
都内に住む友人からの、終わらない訴えが立て続けに表示されていく。

「隣から虫が入ってきて最悪」
「誰か溜めてるゴミの異臭がひどい」
「夜中まで話し声が聞こえて寝れない」
「換気扇うるさい」

友人の暮らすあの都会を思い出す。

ウナギの寝床のような直方体の空間には、必要最低限の、例えの通りほぼ寝床の機能しかなかった。
私が宿を借りるときはベッドとミニテーブルに挟まれたスペースにクッションを並べて、自分の上着を掛け布団代わりにした。

彼女は数軒隣のビル1階にあるコンビニを冷蔵庫と呼ぶ。
交差点の角にあるコインランドリーが洗濯機。

窓の外はすぐ隣のビルで、非常階段から時々警備員の男がこちらを覗くのが嫌で滅多にカーテンも開けないのだそうだ。ベランダにある洗濯機置き場を使わない理由もその時察した。

徒歩圏内にある図書館で本を借り、通勤電車で読んで職場近くの同系列の図書館に返却する。
デスクワークは営業時間や混雑具合によっていくつかのカフェを渡り歩く。

あるとき連れていかれたカフェの席は人一人分の横幅しかなかった。右手に座る友人のパソコン画面は丸見えで、左隣にいる受験生がノートを取るサリサリとした筆記の音は自分が発するものかのように近かった。
終始落ち着かない私の様子を見た彼女が言った。「パーソナルスペースが広いんだね」

気が合うことと生活志向は別モノだ。

彼女にとってはこの街全体が、他人とシェアする大きな自宅だった。

気軽に出歩けなくなり、在宅ワークで通勤すらなくなり、あのカプセルホテルのような空間に閉じ込められた彼女の話を私は聴くしかできない。

私は他人が勝手に立ち入らないエリアで、思いっきり伸びをする。

風通しの良いベランダでビールをあおりながら畑に目を向けると、さっき手を振った奥さんに別の奥さんが話しかけていた。こちらに顔を向けたので、会釈した。相手も会釈を返してくれた。今度はお互いにちゃんと伝わった。
私の親くらいの年代の2人は何を話しているんだろう。
涼しそうでいいわね、かな。それともこんな明るいうちからお酒を飲んで、とお小言だろうか。あるいは、まったく別の話題かもしれない。

声の届かないこの距離感、私には心地いい。

ビールを飲み切ったところで、部屋に入る。

外を流れる風は、網戸を超えて部屋の中の空気まではなかなか入れ替えてくれない。
蒸し暑さが残る室内で、今日の夕飯になる食材を吟味し始めた。

ピンポン、と呼び鈴が鳴った。

モニターがないので「はい」と直接玄関を開ける。

そのとたん、部屋を縦断するように空気が流れて、部屋の空気が入れ替わった。
同時に強い野草の香りが襲ってくる。

「ニラ、取ってきたの」

さっき手を振った畑の奥さんが、ビニール袋いっぱいのニラを私の目の前に広げてニコニコと笑っている。その手にある大量のニラが今まさに生きている香りを放っている。

ニラは好きだけど、これはあまりにも量が多い。

「あ、ありがとうございます」ヘラっと笑いながら私はビニール袋の中から片手で握るほどのニラを取り上げて「いただきます」と再びヘラっと笑った。

「もっともっと」奥さんはちょっと強引に攻めてくる。
「特別にいい香りでしょう」「傷んでいるところ取り除いたら減るから」なんなら袋ごと押し付けてきそうな勢いに精一杯立ち向かって「じゃああと少し」と残った片手でもう一掴みのニラを取り、そこで折り合いがついた。
葉が揺れるたびに特有の強い香りが立ち上る。

台所にある古新聞を広げて、いま受け取ったニラを置いて軽く包む。
これは、餃子にちょうどいいのではないか。

思いついた瞬間にメニューが決まった。

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その日はビールを飲んでしまったので、翌日スーパーで餃子の皮とひき肉を買って帰った。

帰宅してドアを開けた瞬間、私の帰りを待っていたニラの強い香りが襲ってくる。新聞紙に包んでいてもこれだ。都会の部屋ではきっと苦情モノだな。

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刈り取ったままのニラは、ゴミや雑草などを取り除きながら一本一本確認して枯れたり傷んだりした葉を取り除く。

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そのまま流しで丁寧に洗う。
ニラの香りが苦手でなければ、幸せに包まれる。

続けてみじん切り。

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薄い葉なのであちこちくっつくし飛ぶし扱いはちょっと厄介。
ニラがけっこうな量あるので、他の具材はひき肉のみ。

刻んだニラを軽く塩もみしたら、今度は合わせる肉と調味料の調合。

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片栗粉はなかなか出番がなくていつも残りがち。最後のあとわずかを今回消化できるのもラッキー。餃子を思いついたときも真っ先に浮かんだ。

全ての具材をニラと混ぜて、いよいよメインの餃子を包む作業。

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餃子の皮に具をのせて、指先で皮のふちを水でぐるっと濡らして、ひだを寄せて閉じ込める。
この工作らしい手順がメインディッシュと言ってもいいくらい好き。面倒に思われる全工程はこの瞬間のためにある。

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できた!25個!

包み切れなかった具は、卵と混ぜておつまみに。

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味付きで美味しい。

水餃子、焼き餃子、残りは冷凍で後日用。

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どちらもニラの香りと触感が最高!
ごちそうさまでした。

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夕方になると涼むためにベランダに出るのがこの時期の習慣になりつつある。

「今日のランチ!」
「夜はこちら、やわらか熟成肉」

スマホの画面には、都会らしくセンスのある盛り付けが流れてくる。徒歩圏内に飲食店が多く、テイクアウトも豊富なようだ。

私のニラ餃子とは見栄えがあまりに違う。

今日は機嫌を取り戻している彼女に「いいね、いつか私も行きたい」と素直に感想を送った。

愚痴と気分転換を繰り返し、彼女は今日もあの窮屈な街を他人とシェアして暮らす。

こっちに来たら。という、相手の望まない言葉が繰り返し浮かぶたび、夏の夕風に流した。

終(2670文字)

【あとがき】
ストーリーは創作、ニラ餃子の料理部分は実際のものです。

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