「入部を終えて」1年 濵野 優
私の名は濱野。かつては広島の片田舎に在する学校に通う平凡な一高校生であり、退屈な日常と戦い続ける下駄履きの生活者であった。だが、忘れもしないあの日、2021年11月1日。京都産業大学に合格したあの日から私の運命は大きく変わってしまった。
京産大に合格したその翌日から、私の見る世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。いつもと同じ町、いつもと同じコンビニ、いつもと同じ公園。だが、なにかが違う。普段は億劫であった坂道続きの通学路を苦に感じなくなった、嫌いなバイト先にも自然に足が向くようになった等…。
第一志望に合格したことで、受験期の悪夢のような毎日は終わり、全ての物事をポジティブ捉えることのできる、バラ色の生活が始まったのであった。それは辛い受験勉強から解放された事による、私が大学へと抱く期待感の現れでもあった。
しかし数日を経ずして、合格と同時に退屈という名のときが駆け抜けていった。かくも静かな、かくもあっけない終末をいったい誰が予想しえたであろう。私が過去十数年にわたり営々として築いた思い出とともに、広島での生活は終わった。しかし、残された私にとって終末は新たなる始まりにすぎない。高校生活が終わりを告げたその日から、京都での新たな大学生活を充実させていく為の戦いの日々が始まったのである。
普通、入学前は「さて、どんなサークルに入ってやろうか」などと華のキャンパスライフを実現させる為に考えを深く巡らせるものだが、奇妙なことに私の場合は『これぞ大学生』と言われるような、遊びや飲酒を多く伴うサークルや、高校と比べて格段に高いレベルで活動する運動部に対し、一向に関心を寄せることができなかった。
しかし、新入生歓迎会において、それらサークル・部活の押し寄せる荒廃をものともせず、その勇姿をとどめ、圧倒的な健全性と、「スポーツ新聞の制作」という極めて異質な活動内容を誇っていたある団体が私を妙に引き付けることとなった。それこそが、私が現在在籍する京都産業大学体育会本部編集局、通称"京産大アスレチック"である。
入部を終えて約1か月と少々が過ぎ去ったが、この度記事を一本書く機会を頂いた。生意気で青二才の私は「400字の記事など簡単だろう」と高を括っていたが、想像以上に難儀した。先輩同輩の意見を聞きながら己の未熟さに気がつき、自らの持ちうる文学史学法律学物理学心理学生理科学非科学すべての知識を動員して、脳味噌をボコボコと沸騰させながら執筆に取り組んだ。今ここにある現実を自らしっかりと括目し、目を瞑ることなくこれから先の成長に繋げていく。失敗を認めず現状維持を続けることは歴史に学ばない者の愚弄な行為だと考えるからだ。
ああ、選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり。京都産業大学の未来がひとえに我々の双肩にかかってあることを認識するとき、めまいにも似た感動を禁じ得ない。
濱野 優 著 京都産業大学前史第17巻 「入部を終えて 序説第4章」より抜粋
次貢著者、小川 菜月氏。乞うご期待。
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