昭和の時代に取り残された学校
こんばんは。
けいえす(35歳)です。
私の子供たちも小学生1年・3年となり、2人楽しく毎日学校に通っている。学校の授業内容や教育方針について、私の方からとかく意見するつもりは全くない。長女が入学してから2年半経つが、驚きの連続で、昭和か!と突っ込みたくなるような事が多々ある。
今回は学校が昭和に取り残されてしまっていると感じたエピソードを少しだけ、リポートします。教育内容そのものではなく、その周辺にある「先生⇔親とのコミュニケーション」がその対象です。(※わが子の通う文京区立小学校の話となります)
それでは子供のいるご家庭には共感を、子供のいない皆様には驚愕を、おとどけします。
集金袋
我々(私、35歳です)が子供のころから様々な集金が学校で行われていませんでしたか?給食費やピアニカ、習字道具のお金を、茶封筒に入れて先生に提出していたかと思います。給食費泥棒は見たことありませんが、現金での受け渡しは昔から何かと問題も多くあったと聞きます。
30年近くたったこの令和の時代においても、まったくここが進歩しておらず、いまだに茶封筒に現金を入れて先生が集金しているのです。※私の子供たちの小学校は給食費だけはやっと引き落としですが、なぜかゆうちょ指定。そのためにわざわざ口座開設して、1年に1~2回お金を振り込んでいます。。。
ピアニカの購入を例に挙げます。
①先生 ピアニカ購入のお知らせを配る。チラシとともに
↓
②親 チラシ確認と購入申し込み用紙を記入
↓
③先生 申し込み数を確認し、集金袋を配る
↓
④親 現金を入れる(毎度毎度 小銭が足りない・・)
↓
⑤先生 集金。お金がきちんと入っているか勘定する
学年でまとめて、業者へ振り込みと発注処理(おそらく)
これだけのステップを踏む必要があります。特に先生にどれだけの負荷がかかているのか想像は容易。例えばチラシに業者のECさいとのURLかQRでも貼り付けて、各自購入とすれば、①ステップで済みますよね。また、各自好きなメーカとした時に起こりがちな、規格違いのトラブルも起きないでしょう。
ピアニカにしろ、習字道具にしろ、出入り業者との結託しようと何だろうと構わないが、現場の先生と親の労力・コストを削減する努力をしてもらいたい。
連絡帳
こちらも今だに変わらず現役選手として大活躍しております。これはこれで、子供自身が次の日の持ち物確認のため、自分でメモを取るという点においては、存在する価値があると思っています。
しかし、先生⇔親のコミュニケーションツールとしては、廃止すべき代物であります。
例えば昨今のコロナ対応ということで、児童は毎朝の検温記録を連絡帳に張り付けており、先生に提出する必要があります。先生は一人一人の連絡帳と検温記録に目を通し、ハンコを押しています。
一体こちらもどれだけの労力・コストをかけてやっているのか。オンラインコミュニケーションツールを導入するだけで、この不毛なやり取りから解放されるのは間違いないはずです。
課題
2エピソード、ちょっとした改革で大きく労力・コストを削減できる話を書きましたが、これを進めるにしても課題があることは確かです。
課題
デジタルデバイスを持っているということを前提にしている
今の時代、PCもスマホも持っていない人が存在するのか?と、私自身決めつけてしまっていましたが、一定数存在するのです。
私の住む文京区は比較的裕福な家庭が多い地区ではありますが、それでも生活保護世帯や、事情により祖父母と暮らしているためデジタルデバイスが家に無い、様々な家庭があり、デジタルデバイド(格差)があることを知りました。
コロナ休校中にZOOMで朝礼をやるということで、2週間前からぐらいからアナウンスが学校からありましたが、2週間経っても中々始まらないので、たまたま学校近くで担任の先生と立ち話をした際に、デバイスが各家庭に行き届くまで始められない、ということでした。
まだまだ私も、自分本位であり他の人が、他の家庭が、というところの想像力が足りないな、と反省させられました。
まとめ
愚痴っぽく書いてしまっておりますが、何より現場で大変なご苦労をされている先生方の負担を少しでも軽くするには?より本業に注力できる時間を割けるようにするためには?を、大前提として「なぜだろうか?」と感じた点について簡単に書きました。
もちろん上記以外にも、山ほど昭和の古き悪しき慣行が教育現場には残っていると感じています。
より良い教育現場となってほしいと、切に願っております。