shinichi murata

世界をただ流離って生きたかった。いろいろな事があり、翻弄されてもきたが、心を落ち着けて、静かに記憶の糸を手繰りながら、これからの記憶の物語をも紡いでいきたい。これは、忘れてはいけない思い出と、現在の思索と、未来への展望の物語である。

shinichi murata

世界をただ流離って生きたかった。いろいろな事があり、翻弄されてもきたが、心を落ち着けて、静かに記憶の糸を手繰りながら、これからの記憶の物語をも紡いでいきたい。これは、忘れてはいけない思い出と、現在の思索と、未来への展望の物語である。

最近の記事

騒がしい社会の中で

もう何ヶ月も書いていない。 これは、諸々あって書けなかった、あるいは集中力が落ちていた、ということもある。ここ最近は少し落ち着いてきたが、世間はますます騒々しくなり、耳を塞ぎたくなるような雑音が世界を覆っているかのようだ。 もっとも、それらの多くはメディアを通して流れてくるものだったり、SNS等から流れてくるものだったりする。 結果として、できる限りそれらに接しないよう、精神の安定を乱すような情報に触れないようにしてきた。 ここ最近日本で騒がれているのは、安倍元首相の国葬の

    • どうして僕はこんなところに

      季節はもう夏。 昨年までと比べても、時の過ぎゆくのが異様に早く感じられる。 今までは、なんとなく時間が経つのが早いな、と漠然と、過ぎてから感じていたが、今年に入ってからは、日々実感として知覚できている感じだ。 車の運転で言えば、毎日高速道路を結構なスピードで飛ばしている感じだろうか。 だからか、今年はこれをやらなければ、秋までにはこれを成し遂げよう、などと考え、計画していたことがいくつかあるのだが、息つく間もなく日々が過ぎていき、すでに今年も半分終わってしまったようで、ただた

      • 彼はJaffaに戻り、そして死んだ あるパレスチナ人青年の物語

        Dareen Tatour氏のMondoweissに寄稿された記事を翻訳して紹介したい。誰もが知らねばならぬことが書かれている。まずは読んでほしい。 テルアビブで最近イスラエル人3人を殺害したラード・ハゼム氏の物語は、占領下で生きるパレスチナ人たち全員の物語である。 イスラエル人3名を殺害したラード・ハゼム氏の事件は、私たちパレスチナ人の生活と占領下の歴史の縮図といえる。ヤッファ、テルアビブ、ジェニン難民キャンプ、ディゼンゴフ通り、これらはすべて物語の中で出てくる名前であ

        • マルクス・ガブリエル「殺し合う敵と対話するには、殺す意図を持たずに受容するしかない」

          哲学者、マルクス・ガブリエルの「わかりあえない他者と生きる」の一部を再編した原稿を読んだ。彼の著書は以前にも読んでいたし、テレビでも彼の意見を聞く機会が何度かあり、とても優れた若手の学者だという認識だったが、この最新の記事では、その見方に揺らぎが出てきた部分がある。そのへんのことを少し書いてみたい。 確かに現代社会では、SNSの発達などもあって、理性的に冷静に話し合う土壌が失われつつあるのかと思えることも増えてきた。とくにSNSでは一方通行だったり、相手の顔が見えないことや

          戦争で戦うことについて - 義勇兵報道で思うこと

          ウクライナの戦争は、すでに3週間続いている。日本を含めた世界では、ウクライナの戦争が大きく報じられている一方で、それ以外の各地で続いている戦争についてはほとんど報じられることもない。そういうことはまた別の機会に考えたいが、今回はウクライナでも報じられるようになってきた、義勇兵の問題を少し考えてみたい。 義勇兵といってもいくつかのパターンに分けられると思うが、今回のウクライナのように、当事者側政府が積極的に受け入れているケースがひとつ。この場合は、現地での武器弾薬や寝食に関し

          戦争で戦うことについて - 義勇兵報道で思うこと

          まるで世界はウクライナ一色のように

          ウクライナにロシア軍が侵攻してから、ニュースはいつもウクライナのことがトップ。新聞も、そしてSNSでも、ウクライナのことがほとんど。これはいったいどうしたことなのだろう。 政治的に、道義的に、あるいは根源的に、どちらが良いか悪いか。どちらが悪でどちらが正義か。 そんなことには、わたしはあまり関心はない。 侵攻したロシア軍が悪いに決まっている。プーチンが悪い。そう決めつける人が多いのだろう。 武力を行使する戦争を始めたのはプーチンが率いるロシアなので、そう主張する人々が

          まるで世界はウクライナ一色のように

          戦争 想像力を働かせ、考えることの大切さ

          ロシア軍がウクライナへ侵攻している。21世紀になり、誰もがヨーロッパで戦争が起こるとは思っていなかったと思うが、現実的にはいつ戦争になってもおかしくない対立は、世界中にいくつもあるということ。それが、実際に戦争にならないことが多いとしても、今回のことでどうなことでも起こりうると言うことを、あらためて確認したことになる。 さて、いつでも戦争が起こると起きることのひとつが、今回も起きている。 それは、SNS等でのにわか評論家たちがこぞって解説したり、戦況を逐一報告したりするこ

          戦争 想像力を働かせ、考えることの大切さ

          人が人を裁くこと

           死刑囚たちに接していた元刑務官の話がネットニュース上で紹介されていた。極めて稀有な経験を持つその方の話を読んで、思うところはあったのだが、それは本質的なところからは少し逸れた、刑法上のシステムのことだったりした。  しかしその記事に対する匿名のコメントを読んでいると、とてつもない恐怖、違和感を感じた。 わたしが読んだ限りでは、死刑に反対する意見がひとつもなく、誰もが肯定するか、あるいは積極的な賛成をしていたのだ。膨大な数のコメントがあったので、もちろんすべては読んでいない。

          人が人を裁くこと

          黙することの意味

          現代の世界では、誰もが我先にと語りたがる。単に話す、話したい、ということに限らず、自らをさらけ出すことが当然のようになり、それに長けた人間が有名になったり、話題になったり、あるいは利益を得たりする。そういう変な社会に今はなっている。とくにインターネットが普及しだしてからそのことは顕著になり、SNSとかユーチューブなどの普及に伴い、露出欲や自己顕示欲の高まりは、もはや留まるところを知らない。SNSをやることが、社会的成功や金銭的欲求を満たす必須条件であるかのごとくである。 そ

          黙することの意味

          人の死に想う 2 死とは何なのか

          先日、パートナーの母が亡くなったことは先にも書いたが、その死に接して思うこともあったので、少し書いてみたい。 そもそも、これほどの急な死を想定していなかったので、今でも信じられない思いが消えない。亡くなってから2週間近く経つのだが、以前のように部屋で椅子に座ってにっこりと微笑んでいるか、ベッドで眠っているか、そんな姿があるのではないかと、そんな気がして、部屋を見てしまうのだ。そして、片づけられたベッドと、遺影をみて、やっぱり死んだんだなあと思う。この繰り返しである。 事情

          人の死に想う 2 死とは何なのか

          人の死に想う

          かつて、数え切れないほどの人の死に接してきた。 多くは、自然ではない死だった。 たとえば、銃で撃ち殺されたり、砲撃の破片を浴びて死んだり、鉈で斬り殺されたり、あるいは伝染病で死んだり、あるいは溺死や焼死・・・・。そんな死をたくさん見つめてきた。 それぞれの死に接して、目の前で横たわる肉体の、先ほどまでは生命を確かに宿していた肉体の、躍動していた筋肉の、何かを話していたかもしれない口元の、何らかの動作をしていただろう指先の、何かを見つめていただろう見開く瞳孔の、それらの抜

          人の死に想う

          年初の誓い、新たに

          これからやるべきこと、やりたいことを考えたとき、心の奥からの本音とか、この何十年の間目指してきたこと、自分の本性として考え続けてきたことがあるが、それらも含めて自分のなかで大切なのは、書くということだった。 だった、と過去形になっているのは、そのことがこの数年ほぼ思うように出来ていないからだ。 その理由はいろいろとあるのだが、ひとつはこの数十年やってきたやり方で生きていくことが困難になり、まずは生活を立て直そうとしていることがうまくいかないこと。 もうひとつは、そもそも

          年初の誓い、新たに

          2022にやるべきこと

          長い間放置してある文章に手を入れる。 加筆修正したうえで、出版まで持って行けたらいい。納得いくところまで仕上げて、自分で本の形にするのが最適か。 内容からいって、出版社から出すのは難しいと思う。 理由は、多くの人に理解してもらえないだろうから。 内容は、ドキュメンタリー的でありながら、自分の内的世界、心情、そこで起きていることを感覚として捉え、それの意味を自分なりに言語化したり、感じたことを綴ったもの。 と書いても、誰にもわからないように、他人に理解して貰うことよりも、本当の

          2022にやるべきこと

          カフェは本来革命的な場である

          カフェ好きな人は多いだろう。 日常のちょっとした隙間時間にカフェに立ち寄り、好きなドリンクを飲みながら、読書したり、友人と語りあったり、最近は仕事をすることもあるかもしれないし、また休息の時間として過ごす人もいるだろう。いずれにしても、カフェで過ごす時間というのは、多くの人にとっては、リラックスできる時間だったり、しばし休める時間だったりするのだろうか。  また最近では、カフェで食事をメインに取る人も増えているようだし、珈琲などドリンクの質を高めているところも増えているようで

          カフェは本来革命的な場である

          DUNE 砂の惑星(映画)のイスラーム性など

          40年ほど前に始めて原作を読み、その世界に引きこまれていたわたしにとって、これは待望の映画だった。原作は、今回の映画の基にもなっている「DUNE 砂の惑星」以降も、「砂丘の子どもたち、」「砂漠の神皇帝」「砂漠の救世主」などなど・・・・と、延々と続く壮大な未来叙事詩なのだが、それらを全部読み、また著者フランク・ハーバートの息子ブライアンが父親の構想を引き継いだ「公家アトレイデス」「公家ハルコンネン」「公家コリノ」と続き、まだまだ邦訳されていない作品もあるという、永遠に続くかと思

          DUNE 砂の惑星(映画)のイスラーム性など

          世界はわかり合えないのか

          1945年に世界大戦が終わり、こんどこそ世界は平和になる。いや、平和にしなければならない、との意気込みや熱烈な願いが世界中に満ちていたはずだ。一般市民たちはもとより、国の指導者たちもそう願っていたはずだし、その気持ちには真摯な重いがあったと信じたい。しかし、そのときにはすでに様々な裏での思惑もあり、物事は綺麗事ではいかないということも理解はしているつもりだ。 それにしても、この20年来の世界の動きはとくに酷くなっているのではないか。とくに、911の米国での事件以来、「対テロ

          世界はわかり合えないのか