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「bar Artcomplex」

気休めに、過去の話をただただ文章に書き出してみた。
barで副業していた時の話。

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重い扉を開けて店内に入ると、にぎやかな外の世界を遮断するように扉を閉める。

入って1番に目を引かれるのは、壁に等間隔で張られた鏡。
その鏡と一体化するようにデザインされた木の彫刻は、男女が混じり合う形状で、深い色味で統一された店内に、妖艶な雰囲気を足す。
そんな美術館のような店内の、狭い通路を歩いて2階へ上がると、壁にしか見えない隠し扉を引いて、事務所に入る。


「おー、お疲れ様」
黒髪の前髪をかき上げたあと、流れた髪の毛を片耳にかけるように手を動かす男性が、1度だけこちらに目を向けて、すぐに視線を鏡に戻す。
彼の名前は兼坂大地。この店のマスターだ。

「おはようございます」

淡白な挨拶だけ返しながらデスクに鞄を乗せると、間宮楓は上着を脱いだ。
黒いサロンエプロンを巻き、ネクタイを締めてベストを着る。

「あー。今日もネクタイなんや」
少し不満そうな声で兼坂が言った。
「はい?」
「蝶ネクタイの方は?せっかく見立ててあげたんやから」
「あぁ、…また今度」


「ふーん。俺は似合ってると思うんやけどな」
少し間を空けてからそう呟いた後、兼坂はデスクに置かれていたソーダ水とジンジャーエールの瓶を数本持って事務所を出て行った。


蝶ネクタイは、楓がこの店で働き始めるようになってから、女の子の楓用にと、兼坂がユニフォームに合わせて揃えたものだ。
楓は鞄の中に入った蝶ネクタイを見て小さくため息をついた。

いつからだっただろうか。楓が兼坂を相手に、勝手に心理戦のゲームを始めたのは。
兼坂の言葉にはどことなく裏がありそうで、楓はその言葉の本質を探らずにはいられなかった。その上、時々向けられる、楓の本心を見透かそうとする兼坂の眼差しが、楓は苦手だった。
そういう時の兼坂の目は、瞳に含む色が変わるように楓には見えている。



楓は深く息を吸うと、ベストのポケットにライターと替えのキャンドルを2つ入れ、事務所を出た。

1階へ降りると、兼坂がカウンターで煙草をくわえる姿があった。
楓が降りてくるのを確認すると、兼坂は灰皿に煙草を押し付けて火を消した。
そんな姿を横目に、楓はカウンター内に入る。
シンクで手を洗うと、冷凍庫から取り出した氷のブロックを包丁でカットする。続けて、アイスピックで氷の角を削り、ロック用の丸い氷を作っていく。

「今日は暇そうやな」
カウンターに並んだボトルを磨きながら、兼坂が呟いた。

「…なんでそう思うんですか?」
「んー、なんでやろうな。勘」
「へ、へぇ」
なんとも答えようのない回答に、つい素っ気ない言葉が出る。


カウンター側から綺麗に見えるよう、ボトルの角度を調整する兼坂。
その兼坂の背後に、影が揺らいだ。


「やぁ」

開いた扉から、穏やかな声の古川智行が入ってきた。

「おぉー、古川さん!」
「いらっしゃいませ」
兼坂の声を追って楓が挨拶をすると、古川は機嫌良く微笑んだ。
古川から受け取った上着を、楓がハンガーに掛ける。

「今日は外、人が少ないね」
そう言いながら古川は、カウンターの真ん中の椅子に座った。
「あぁ、そうなんですね」
「ほら、言ったやろ」
すかさず兼坂が口を挟む。

楓は熱々に温められたおしぼりを広げ、軽く空気に触れさせたあと、古川に差し出した。
「どうぞ。ちょっと熱いかもしれないです」
「ありがとう」

おしぼりを受け取った古川が、楓と兼坂を交互に見た。
「…何かあった?」

「え?何も…それより古川さん、今日は何にしますか?」
「…そうだねぇ。とりあえず、間宮ちゃんのおすすめをハイボールで貰おうかな」
「わかりました。スコッチでいいですか?」
「うん」

楓が兼坂を見ると、兼坂は一瞬だけ手前に置かれたボトルに視線を移し、また楓をみる。

楓はグラスに氷を入れ、兼坂から指示のあったブラックラベルのボトルを持つと、左手の人差し指と中指の間に挟んだメジャーカップへウイスキーを注ぐ。
ししおどしのようにメジャーカップを傾け中身をグラスに移すと、楓はグラスの中にバースプーンを入れ、ウイスキーを冷やす為にくるくるとステアした。

グラスから伝わる温度でウイスキーが冷えたのを確認し、氷に当てないようソーダ水を注ぐ。
再びバースプーンをグラスの中で1.5周ほどステアすると、スプーンの先で氷を沈めるように押す。
引き揚げたスプーンに移った淡い琥珀色の液体を、楓は左手の甲に乗せた。

甲に口をつけ味を確認し、出来上がったハイボールを古川の目の前に置く。
そして古川の手の届く位置まで、コースターごとグラスを滑らせる。
「お待たせしました、ジョニ黒のハイボールです」

「ありがとう」
古川は微笑むとグラスに口をつける。
「うん、美味しい。…それで、もう一度聞くけど、何かあったの?」

「なんのことですか。全然なにもないですよ」
楓がにっこりとした笑顔を古川に向ける。
「そう?なんか空気がギスギスしてるように感じるんだけど」

古川の言葉に兼坂が豪快に笑った。
「ぁっははは!古川さん、面白いこと言いますねぇ。僕たちは変わらず仲いいですよ」
「間宮ちゃん、そうなの?」
古川が楓だけに返答を求める。
「そうですね。変わらず仲は普通です」
「普通って」
クスクスと古川が笑いながら、グラスを傾ける。

「楓ちゃんは今日お疲れなんですよ。昼の方で」
「そうなんですよね。ちょっと疲れちゃって」
楓は仕方なく兼坂の言葉を肯定した。

納得のいかない様子で、古川が楓を見る。
「まぁ、僕は別にいいけどね。間宮ちゃんと兼坂くんが仲悪くても」
そんな古川の言葉を無視して、兼坂が言う。
「古川さん、次何にしますか?」
「そうだねぇ」
古川が底に残ったハイボールを飲み干し、空いたグラスをコースターの上に戻した。


「じゃあ、今日の間宮スペシャルを」
その言葉に兼坂が楓を見てニヤリと笑う。

兼坂を余所目に、楓は頭をフル回転させた。

古川は、楓がこの店で働くようになってから、ぼぼ毎日のように仕事帰りに立寄る常連客。
パンチのある辛めなものも、牛乳や生クリームを使うデザートのように甘く重めなものも、楓が作ればその日の気分問わず楽しんでカクテルを口にした。

そんな優しい古川に感謝しつつ、古川の好みの幅からあまり悩まず提供できていた楓だったが、さすがにそろそろネタ切れにもなっていた。

楓は少し考えたあと、使う材料を揃えるために棚の扉を開けた。それと同時に店の扉が開き、明るく高い声が入ってくる。

「おぉ、古川さん1人じゃん」
「あぁ、海斗くんか。仕事終わったんだ」
私服姿の谷屋海斗が兼坂からおしぼりを受け取ると、古川の横に座る。

「うん。今日は早めに上がらせてもらったよ」

「海斗くん、何にする?」
「んー、とりあえずビールで」
「かしこまりました〜」
嬉しそうな兼坂がビール瓶の王冠を抜き、冷蔵庫から取り出したグラスに中身を注ぐ。

黄金色の液体と、その上に盛られた濃密な白い泡の比率が美しい。
楓は兼坂の完璧な腕を面白くないと感じながら、手に持っていた瓶を棚に戻すと、カウンターに置かれたウイスキーを手に取った。
加えてコアントローとブルーキュラソーを棚から出し、それらをテーブルに並べる。

「海斗さん、お疲れ様です」
「おー間宮ちゃん、何作るの?」
笑顔の谷屋がテーブルを覗くように首を伸ばした。
「古川さん用のカクテルです」
楓は冷蔵庫からライムを取り出し、シェーカーのボディに果汁を搾り入れる。手早く他の材料を注ぎ、バースプーンで混ぜ合わせた後、味を確認した。
「古川さん、楽しみだねぇ」
ビールを片手に持つ谷屋に、古川がうなづく。
壁に寄りかかる兼坂は、腕を組みながら真剣な顔で楓を見つめている。

楓は混ぜ合わせた液体の中に氷を落とすと、すかさずストレーナーとトップを重ね、シェーカーを振った。
氷と液体がカシャカシャと音を立てる。

軽く冷やしておいたカクテルグラスを古川の目の前に置き、シェーカーのトップを外して中身を注ぐ。

逆三角形の繊細なカクテルグラスに満ちていく、透き通った翠色の液体。
楓はシェーカーの中身を全て注ぎ終えると、なみなみに入った液体が溢れないように、グラスを古川の方へスライドさせた。

鮮やかな翠色の液体が、暗い空間の中で光っているようにも見える。

「おわぁぁ…」
「凄い綺麗な色」
古川の口から漏れた声と谷屋の反応に、楓は密かに安堵する。
「ほんまに綺麗な色やな。何て名前のカクテルなん?」
つい先程まで厳しい目をしていた兼坂が、感心した表情で楓に近寄ってくる。

「キングス バレイです」
「へぇ、初めて聞いた。あの材料でこの色が作れるんや」
兼坂がテーブルに置かれたボトルに目をやった。
「色の魔術師と呼ばれるバーテンダーの作品です」
「何使ったの?」
写真を撮り始めた古川を凝視しながら、谷屋が問う。
「シーバスリーガルとコアントロー、ライムに、ブルーキュラソーをちょっと入れてます」
「緑色の材料使ってないもんな」
「はい。よく考えられてますよね」
兼坂の言葉に、楓も素直に返した。

「爽やかで美味しい。ちゃんとウイスキーの味もするし」
古川が嬉しそうに頬を緩める。

「えーいいな。僕も何か作ってほしい」
「海斗くんは次、ギネスっすよ」
強制的に黒ビールを用意している兼坂。
「あぁ、でもいいね久々に」


ーーードン
溜まっていた空気に、外の冷気が混ざる。

「あ、いらっしゃい〜」
「いらっしゃいませ」

「お疲れさまぁ」

また1人、笑顔の常連客が店に顔を覗かせた。fin



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