2回目の頸髄損傷
何で❓
何で2回も苦しい思いをしなきゃいけんの❓
35歳で自動車事故で頸髄損傷になり。
53歳で脊髄空洞症で頸髄損傷に何でならなきゃいけないの。
私は自動車事故で頸椎5番6番脱臼骨折して頸髄損傷になりました奇跡的に指の機能は残り細かい作業も出来ていてスポーツも50歳まで何の問題も無く出来ていました。
それが50歳過ぎた位から肩に違和感が、次の年には温覚、痛覚が無くなり、MRIをとりました。
病名『脊髄空洞症』
脊髄の中に風船のように空洞が出来て髄液が空洞を押し広げ神経を圧迫し麻痺が拡大していく病気です。
治療は手術しかありません。
感覚麻痺から筋肉の麻痺、呼吸の麻痺とゆっくり進行していきます。脊髄損傷者にはよくある病気です。肩の違和感と感覚麻痺はこれか。。。
しかし生活に流されて放置。。これがいけなかった。
私の右手の指まで麻痺が広がり始めました。
慌てて吉備高原リハビリセンターを受診、結果は脊髄空洞症が進行していました。
色々検査の結果、岡山県の総合病院でオペをしました。
オペは成功したかと思われましたが、、転院したリハビリ病院で両手の握力を無くしてしまいました。
緊急MRIで
脊髄空洞症再発。。。
まさか。。
手指の機能を失うと何もつかめない、同時に前腕の力も落ちます。
『何で❓命も掛けてオペしたのに‼️』
『どーしたらいい❓』
もう目の前が真っ暗。。
私は頸髄損傷者の団体の理事長、沢山の会員さんがいます。皆さんを見て、話を聞いているのに、いざ自分が握力無くしたら混乱してるとか理事長失格。。
悔しくて悔しくて涙が止まりません。
何で2回も辛い思いしなきゃいけない。
生き地獄を2回も。。
そんなどん底の私を立ち直らせてくれたのは大切な妻でした。
『失った物よりもこれから積み重ねる事が1番大切、私も一緒に居る』
その言葉は刺さりました。
私はその日から出来ないなら出来ないなりに生きることにしました。
沢山工夫して工夫して出来ることを積み重ねました。
一方で脊髄空洞症は更に進行して体全体に影響が出始め、かなりしんどくなりましたが自宅で介護職の方々に力を借りながらリハビリしながら闘いました。
同時に広島の脊髄に詳しいドクターに相談しながら6月に再手術決意。
11時間にもなるオペを耐えました。
私の脊髄空洞症は今、消滅しています。
指も動き始め、筋肉も動き始めました。
再発のリスクはゼロではありません。
しかし光が見え、これからまた厳しいリハビリを続け必ずパラアーチェリー、講演活動など復活します。
その日も遠くありません。
私を支えてくれた妻に感謝。
今日もリハビリです。
ちなみにゼロだった握力は現在6キロまで回復してます^_^
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