陶芸家の諏訪蘇山です 受け継いだ青磁の焼き物、祇園祭、そして京都の夏
自然と人と文化が共存できる社会へ
こんにちは。
陶芸家の諏訪蘇山です。
焼き物を焼く家を継いでいて
私は4代目になります。
主に青磁の作品を作っています。
初代は江戸の末、金沢の武士の家に生まれましたが
明治維新で武士は廃業となり
陶画を習って焼き物の道に入りました。
そして、色んな焼き物を見た中で
青磁という焼き物に心引かれました。
青磁という焼き物は
中国で何百年も前から焼かれていて
様々な種類があります。
初代はその中でも、中国の南宋時代に龍泉窯で焼かれた
砧青磁という焼き物を焼いてみたい、と思いました。
そして25年余りの研究の末
明治40年にようやく納得のいくものが完成し
それを世に出したところ認められ
大正6年には明治の人間国宝と言われる
「帝室技芸員」に選ばれました。
その青磁の色を今は私が受け継いでいます。
私は主にお茶道具を作っています。
お茶道具というのは美術館などに飾って
鑑賞するだけのものではなく
実際にお茶会などで使っていただくものです。
作る時には、お使いになる方が
どういう使い方をされるのかを考えます。
誰がどんな場所でどんな季節にどのような方をお招きして
使われるのかなと想像しながら作るのは
作品作りの楽しみの1つです。
サステナブルに関してですが
京都は粘土があまり採れない土地柄なので
各地の土を取り寄せて様々な焼き物を作ってきました。
父の時代には、信楽からリヤカーを引いて
土を運んで来られたと聞いています。
今は流通が良くなったので、土はわりと簡単に手に入ります
でも、「一握りの土で香合が1つできる」という
大先輩の言葉を思い出し
地球からいただいた材料を大事に使い
素敵な形にして
皆さんに届けられるようにと思って作っています。
生まれ育ったところは上京区
今住んでいるところは東山区。
鉾町とは少し離れた場所に住んでいるので
宵山や山鉾巡行を見にに行くときも
なんとなくお客さんのような感じ行っていました。
そして、宵山の日は友人達と夜遅くまで出かけていても怒られない
ちょっと特別な日でもありました。
小さい頃は母に連れられて日中に鉾を見に行きました。
「暑いなぁ」って言いながら細い道を歩いていると
ぱっと目の前に鉾や山が現れて
その大きさにびっくりしていました。
母が懸装品や山鉾のことを
まだ小さな子供だった私達に一生懸命話してくれました。
今思えばそれは「何かを守る」ということの大切さを
教えてもらっていたのかなと思います。
京都の夏は暑いと言われます。
京の町家は夏を過ごしやすくするように作られているので
冬は家の中もとても寒いです。
冬の寒さは思い出したくないけれど
秋になって涼しくなると
夏の暑さが懐かしいと感じるのは何故でしょう。
京都以外から来た人には、熱中症に気をつけながら
お祭りと一緒にこの暑さも体験してもらいたいと思います。