ウインカー付き自転車〜「なつかし断捨離日記」
みなさん、こんにちは。
ケイズハウスのなかの人です。
ケイズハウスは、実家じまい(相続)や
マンスリーマンションを得意とする不動産会社です。
古ぼけてしまった大切な実家。
まるでタイムスリップしてしまったかのような子供部屋。
親と子の未来を見据えた断捨離は、宝物と感動でいっぱい。
このコラムでは、昭和の昔、
こどもたちには「ちょっとだけ手の出しにくかった」
ベストセラー商品の当時の価格や時代背景を探りながら、
その魅力を語っていきたいと思います。
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おしりに懐中電灯を挿し、「ホタル」と叫びながらところかまわず走り回るガキの皆様は、いつの時代も後を絶たないと思いますが、そもそも子供の頃、なぜそんなに後ろの部分をキラキラさせたかったのでしょうか。
これは、路地裏に置かれたペットボトルに反応する(はずの)ネコや農家の軒下に吊るされたCDに反応する(はずの)カラスの話ではありません。昭和40年代にキラキラと光るウインカー付き自転車に反応しまくった、われわれ子供たちの話です。
いま考えると、あの商品の振りかぶり方は霊柩車のそれに近いと思います。まあ、それは置いておくにしても、問題は、当時売りだされていたあのウインカー付き自転車のお値段です。
広告の商品などでわかるようにおよそ4万円から5万円の間。いまの価格で言うと、その倍の8万円から10万円と言ったところです。でも、わたしのうちにはありました。なぜ、そんなに高いものがあったのでしょうか。
あれはたぶん高度経済成長のおまけなんだと思います。あの頃のお父さんは、家にほとんどいないし、口を開くときは怒るとき、みたいな位置づけでした。
そんなお父さんが、なにかの気まぐれである日、「おみやげ」だと言ってわたしに1冊の漫画雑誌を買ってきたことがありました。たった1回のことでした。
もちろんわたしはよろこびました。そんな「高度経済成長ラック」のようなことが昭和の家庭には頻発していて、実はそんなことの積み重ねが、このキラキラ自転車の売り上げを後押ししていた。私はそう思います。
ブームも去った1976年。高度経済成長も一段落し、中学生になっていたわたしは、電池の液漏れで壊れたウインカーを取り外し、塗装スプレーで銀メタリックに塗った中途半端な「元ウインカー付き自転車」をつまらなさそうに乗り回していたのでした。
では、また、次回をお楽しみに。