電動鉛筆削り〜「なつかし断捨離日記」
みなさん、こんにちは。
ケイズハウスのなかの人です。
ケイズハウスは、実家じまい(相続)や
マンスリーマンションを得意とする不動産会社です。
古ぼけてしまった大切な実家。
まるでタイムスリップしてしまったかのような子供部屋。
親と子の未来を見据えた断捨離は、宝物と感動でいっぱい。
このコラムでは、昭和の昔、
こどもたちには「ちょっとだけ手の出しにくかった」
ベストセラー商品の当時の価格や時代背景を探りながら、
その魅力を語っていきたいと思います。
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長年の知り合いであるよし子さんは、会うたびに、「とにかく私は単純労働が好き、ただひたすらに言われた指示に従い黙々と作業する、そういうのが好き」と力説します。「じゃ、鉛筆削りとかでもいいの?」と古典的なことを聞くと、「ああ、それは理想です」と、149センチの身長で笑いました。
その昔、鉛筆は小刀で削るものでした。その後、ハンドルをグルグルと回す鉛筆削り器が幅をきかせ始めました。そして、進化は加速します。
私は新人類などと言われた世代でありますが、その「新」である理由のひとつは、鉛筆が「電動で」削られるようになったことでした。
電動鉛筆削りは昭和40年代に爆発的に普及しました。
価格は、たとえばこのナショナルのパナパーム(1970年当時)は3500円。消費者物価指数で現在の価格に直しますとおよそ1万1000円もします。
安くはありません。ですが、勉強のためのものであるため、比較的簡単に手に入ったような気がします。
この商品、買ってもらったからといってうれしかったという記憶はありません。いや、むしろ、もたもたとした手つきで鉛筆を削り、トータルでの勉強時間を水増しする、そんな楽しみというか「子供のたくらみ」を奪い去った恨みさえ残ります。
ジャーっと、あっという間にキンキンに削られた半ダースの鉛筆にキラリと光るシルバーのキャップ。かたわらには真新しいMONO消しゴム。これらを机の上に揃えられ、「さあ、宿題やりなさい!」と親に「居直られた」あの恐怖……。
電動鉛筆削りを買ってもらうより、いっそ自分が鉛筆削りになりたい。
ああ、よし子さんが言い続けてきたことは、このことだったのか。
「ジャー」っという「耳障り」な音を思い出しながら、私は今頃になってすべてを悟ったのでした。
では、また、次回をお楽しみに。