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vol.14 トルネコの大冒険 不思議のダンジョン

 筆者はスリップダメージや装備の消耗など、目減りしていく数値を見ているのがとにかく苦手であった。もしくは「リスク」というものが全体的に苦手であった。サガフロンティアの回でも述べている。

 不思議のダンジョン、もしくはローグライクゲームについての解説は省かせてもらううえ、タイトルでうたっておきながら別作品の話で申し訳ないが、筆者が真面目にローグライクを遊んだのは公開停止になった二次創作フリーソフト「ディアボロの奇妙なダンジョン」が初だと記憶している。

 その前に「トルネコの大冒険」を遊んでいたが、そこから長い時が空いての「ディアボロ」で、その後風来のシレン1~2、とプレイ歴が続く。そのほかもシレンをぼちぼちといったところだ。インディーゲームであった「七不思議~七瀬と不思議の漢女道~」も少し遊んだ。

「チョコボの不思議なダンジョン」も1を遊んでいるが、これはローグライクとしては少しカウントしがたい。なおシレン1と2についてはそれぞれ最終目標であるダンジョンを制覇したので、それなりには遊んだつもりでいる。

 このように、ある程度成長してからはきちんとローグライクを遊ぶことができているのだが、子供時代においては上述のように目減りする数値が嫌いだった。すなわち「満腹度」が減るのが嫌で嫌でたまらなかったのだ。

 どのようなプレイになっていたかというと、パンをすぐ食べてしまうのである。満腹度の数値が100~90くらいに無くては徐々に不安になるというタチで、HPよりも進行度よりもとにかく腹具合が最優先のプレイだったのだ。

 ローグライクをプレイした諸兄であればいかに非効率であるかが判ると思う。満腹度は重要なパラメーターではあるが、一方で過度に恐れるほどのパラメーターではない。減少することについての管理意識が必要なのだ。過剰なパンで有限のアイテム欄を埋めるというのはあまり賢くはない。

 しかし筆者は減少そのものが極端に苦手であったので、トルネコの大冒険においてはまず必要なものが持ち込みの「ハラヘラズの指輪」であった。この指輪、パンを持たなくてよく、満腹度も減らない安心感があるようで、一方で貴重なアクセサリー枠を圧迫してしまうアイテムである。

「減るのが嫌だ」という思考は当然プレイにも及ぶ。装備も前回プレイのアイテムを引き継ぎ、リレミトの巻物も必ず持ち込む、代わりに出会う敵全てを殴り続け最大限レベルを上げる、という守りに徹した方法になった。基本的に同フロア長期滞在によって地震が起きるまで殴り続けた。

 これもプレイした諸兄であれば判ると思うが、後半ほど悪手である。下層のフロアになるほどトルネコと敵のパワーバランスは逆転し、単純に殴られて敗ける。当時の最高到達層はせいぜい20階程度であった。

 本来ならば、後半になるほどアイテムを駆使し敵を「やりすごす」ことが必要な場面が増える。しかし筆者はそれもできなかった。なぜなら「フロアに敵が残っていることが気持ち悪い」からである。バシルーラの杖でやりすごす、はできない性質だった。こまったもんだ。

 このようにJRPGのようなプレイスタイルで遊んでしまっていたので、子供時代には当然ながらトルネコの大冒険をクリアすることができなかった。

 当時友人のトルネコの大冒険プレイに驚愕したことを覚えている。彼はやや満腹度が減ってきた段階でパンを持っていたが、パンを食べるより先に「目潰し草」や「まどわし草」、さらには「くさったパン」を食べて満腹度を回復させたのだ。

 ローグライクでは状況により常套手段となるこの手法を、子供時代の筆者は完全に異常行動だと思って見ていた。友人は頭がおかしい、誠実なプレイではないとすら感じていたのである。今思えば、我ながらプレーヤーとしての頭が固すぎる。

 多少弁解をすると、トルネコにいくら必要とはいえくさったパン、もしくはデバフがかかるやばそうな草を食べさせることを人として躊躇ったという感覚もある。真面目に考えてくさったパンをプレーヤーキャラに積極的に食べさせたくはない。

 筆者が成長して他のローグライクにより経験を得て、トルネコの大冒険と再会して遊びなおした時は驚愕であった。めちゃくちゃ簡単だったのである。それはそうだろう、トルネコの大冒険はローグライクとしては入門作だ。

 成長したことによって、無事ローグライクの勘所を掴み、減少恐怖症から脱することができたが、一方それによって、トルネコに何を食べさせても心が動かないプレーヤーにもなってしまった。

 ローグライクを遊べるようになったのがうれしい一方、プレーヤーとしての物語参加の想像力については、何かを置いてきてしまったような気もするのであった。

 

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