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インドリトリートへの道(連載)#2

はじめてのインドは、どんな体験だったのか?

 1987年、長い入院生活のあと、札幌の安宿「すっから館」に仮住まいしながら旅の資金をためた。それもまた旅の一部で楽しさ極まるめくるめく日々だったのだが、本題ではないのでここでは触れない。目的地に発つ前に沈没しかかったほどだった。
 なぜあれほど旅ばかりしていたのだろう? 7~8年の間、ぼくは旅に取りつかれていた。国内をひとしきり回ったあとは、病室で資料を見ながら温めていたインドへの思いが一気に爆発した。
 当時80年代はバブル期で、バイトで貯めた資金は100万余だったと思う。それでもバックパックを背負って1年ほど旅をするには十分だった。ぼくはまっすぐにインドに向かった。

何かが高まってやがて地に落ちて実を結ぶ

 タイのバンコクでストップオーバー、ごった返す活気のある路上の空気に身をなじませてから、カルカッタ(今のコルカタ)へと飛んだ。郊外のダムダム空港夜半着の安チケットだ。 
 80年代当時は、入国時にガスライターやボールペンの〈わいろ〉が有効だった。順番を先にしてくれる程度のことだったが、すべてがスローな入管手続きを早める(今はそういうこともないが)旅に必須の技と知るにも時間はかからなかった。
   夜中にムッとする埃っぽい空気を吸い込んで外へ出てみると、白タク(未登録のタクシー)の運転手がいっせいに群がってくる。勘に頼るしかない値段交渉を済ませて、都心への1時間以上を乱暴な運転に揺さぶられながら汚れた窓越しに闇に目を凝らしていた。

暗い大都市コルカタ

 ところが、町に入ってもいっこうに2000万以上の人口を擁する大都市らしい照明がない。暗いのだ。土やごみ屑が積まれてでこぼこにうねる道端で、多くの人が焚火をしている。店先には灯油とおぼしきランプを吊るして。それはまるで巨大な田舎のようだった
 バックパッカーに良く知られていた安宿街の一角にある「ホテルパラゴン」に、もちろん予約なしで転げ込む。今でもおそらく安宿には予約システムはないだろう。どこかの部屋は空いているはずだ。当時ドミトリー(大部屋)は15ルピー、つまり1ベッド1泊30円ほどで泊まることができた。
(小説家の谷恒生が「カルカッタ大真珠ホテル」というタイトルで、このホテルのことを書いている)

 宿番の男性に聞けばその夜は大停電だったという。都市のかなり広い面積が、いっせいに電源が落ちるという稀なる事態に遭遇したわけだが、決して珍しいことではないことがすぐに分かった。
 停電以上に驚いたのは、それが日常茶飯事だからだろう、宿の人間をはじめとして誰ひとりまったく慌てないことだった
 マッチを擦ってランプを灯す。枯草を集めて枝に火を移し、街中で焚火をはじめる。ビディ(小さな葉巻たばこ)に火をつけ、チャイ(スパイスティー)を沸かしておしゃべりに興じる。
 それがぼくのインドでの最初の夜だった。その直後、洗礼とも言える大変な体験が待っていたのだ。
      ・・・(続く)

2024年のホテルパラゴン、80年代当時と外観はまったく変わらない

     8/24(土)人生の今から踏み出すリトリート

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