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インドリトリートへの道(連載)#4

旅の病気とその癒し

 インドの旅ではカメラを持たないことが多かった。初めてコルカタからプリーへと向かったときにも、ぼくはカメラを持たなかった。旅を画像にして後から振り返ることに関心がなかったのかもしれない。
 それでも初めての外国で、初めての空気を吸い、食べたり人と話したり、何を体験してもめずらしく、どんな写真集を見ても得られない興奮が呼び覚まされた。
 プリーについてはベンガル湾に面した海岸の静かな町というくらいで、ガイドブックも持たないぼくにはまったくの未知。予備知識も偏見もなしに歩くうちに、病後の曇った意識の被膜がはがれ、世界がくっきりと見えてきた。
 旅で病気になったが、旅自体が癒しになった。写真は残っていなくても、そのときの解放感ははっきりと覚えている。

プリーのメインストリート、寺院の門前町である。このカラフルさ!

 インドへの旅は数回、滞在期間は1年に及ぶ。その間に何回も病気をした。そしてそのたびに生命力が鍛えられたと思う。
 (インドというと衛生に問題があって危険、すぐ病気になるという先入観があるかもしれないが、場合によりけりだ。生水を飲まない、路上の食に注意する、ホテルを選ぶなど工夫すれば、十分安全な旅ができる。さらに最近のインドは、安全・衛生面について選択の幅がずっと増えている)

プリーの海岸夕景~どこまでも続く砂浜

 ぼく自身は安宿を巡り歩き、交通手段も二等寝台車やバス、リキシャ、歩きなど。食事は自炊や路上の屋台で済ませることも多かったし、そのほうが旅がおもしろくなると思っていた。長期旅行の節約と気楽さ、気のゆるみもあったろう。水も大して気にしなかったし、歩きすぎて前回書いたように熱中症になったりしたので、病気はいわば自業自得だ。
 インドの薬は日本のものより強力で、効くこともあるのだが、たいていは強すぎてそれで参ってしまった。基本的な薬は持って行くのが安心だろう。


 プリーには60年の歴史を持つサンタナロッジがあった。80年代には、すでに多くの日本人旅行者が利用する宿になっていたので、(ホテルは他にとっていたが)よく立ち寄った。
 日本語が通じる、日本食らしきものもあったし、何しろ日本語の本や旅人からの情報も得られる。心身ともにエネルギーを得て、プリーはそれから半年(ビザの期限)に渡る初めてのインド旅行のまたとない出発点となった
 今回来日してリトリートの打ち合わせをしたフォクナさんは、ぼくがここに出入りしていたころまだ子どもだったという。40年ほど前、すでに彼と出会っていたという不思議! 今回はフォクナさんたちが建設中のエコビレッジや、かかわっている学校にも訪問させていただくことになった。

 しかしそのころ、ぼくには日本に婚約者がいた。帰国後に結婚しようとお互いに言い交していた仲だった。当時はメールもなく、国際電話も大都市からでないと通じない。やり取りは1週間以上たってようやく到着する航空便だ。
 そうこうするうち、じつは日本では大変なことになっていた。そうとも知らず、すっかり元気を回復したぼくは、プリーを発ち、コルカタに戻って、そのころまだお元気だったマザーテレサの「死を待つ人の家」でボランティアを始めたのだ。


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