コウジカイ

神社の参道と鳥居/都市計画と建築/小説/釣り/創作/音楽/Rock/野球/ファジアーノ岡山/備忘録/一級建築士

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最近の記事

司馬遼太郎「坂の上の雲(八)」より

日露戦争を描いたこの小説を読み終わっての2022年3月6日(日)現在の備忘録。 ロシアが社会主義国になるだろうという好古のかんは、ロシアがその栄光とする陸軍が日本のような小国にやぶれたからだという。 「ロシア陸軍は、国民の軍隊ではないからな」 とだけいった。ロシアのその世界最大の陸軍は皇帝の私有物であるにすぎない、ということであろう。その軍隊が外国に負けたとき人民の誇りはすこしも傷つかず、皇帝のみが傷つく。皇帝の権威が失墜し、それによって革命がおこるかもしれない、ということ

    • 司馬遼太郎「坂の上の雲 七」より

      日露戦争における203高地での戦いに関する描写が違う意味を持って響いて来たので書き留めておきたい。 …ただそれだけのことであるのにこれが203高地に似ているとして兵士が口々にささやきあったのは、日本軍が陣地攻撃をするにあたってあいかわらず銃剣攻撃をもってする型をくりかえし、そのためにかつて203高地において払ったような犠牲をはらってしまったからである。むろん撃退された。  この銃剣攻撃は、おどろくべきことに後備第一師団と第十一師団の全力をあげておこなわれた。 (またあれを

      • コロナ時代の私たちと都市・建築2

        感染と均質化 全国の天気予報で見る日本列島は、北海道が晴れていても九州は雨模様だったりするが、現在、テレビや新聞で目にするコロナ禍の日本列島は、感染者数の程度を色の濃淡で表現したものであり、それは数量的な違いこそあれ、均質化している日本列島の、何かのっぺりとした印象を抱いてしまう。都心などの人口が集中しているところは色が濃く、それが日本全国へ薄く長く伸ばされていく。やがて濃い色は都心のみならず、地方にも拠点を作り、またそこから周辺に伸ばされていく。そういった様に我々は不安を覚

        • コロナ時代の私たちと都市・建築

          ある程度の理不尽と強烈な理不尽 雨の降る休日に、外出しない理由がそこにある幸せを思い安堵した。「今日は雨が降っているから出かけるのはやめておこうと思う」と口にした時、出かける先が屋内であったり、交通手段は自家用車であったりして、雨と出かけないことになんら因果関係がないとしても、「雨→出かけない」という図式にはどこか、「そうだよね」と思わせる雰囲気がある。それは、今まで考えたこともない、ある程度の理不尽さだった。しかし今我々が置かれている状況は、雨が降っていなくても外出すること

          東京 オリンピック

          東京五輪が開催されている。 どこか異国の地で開催されているような不思議な感覚。 あれほど、コロナ禍で中止をしない政府、と煽っていたマスコミも連日のようにオリンピックでの成績を報じて、最後には、「頑張れ、ニッポン」と声高に叫んでいる。しかも笑顔で。 そうだった。 東京は異国だったのだ。 地方から見れば、それは遠い遠い異国の出来事。 メイン会場も選手村も、テレビで見たことのある4年に一度の風景であることにはかわりない。

          東京 オリンピック

          都市計画 備忘録

          都市計画という言葉を聞いたことがない、という人はあまりいない。しかし、都市計画というものが何なのか、を説明できる人もあまりいない。 にも関わらず、人口は都市部に集中している。 自分が住んでいる都市部の制度を理解していないのに、それに縛られて(うまく言えば、導かれて)生活しているというのは、車のメカに詳しくないのに、毎日運転しているようなもの。 できれば、知っておいて損はないはず。 1.まずは自分が住んでいるところ自分の住んでいるところは都市なのか、そうでないのか。まずは、都

          都市計画 備忘録

          今日は歯科医院の予約を入れていたのに、どうでもいいYoutubeを観ていたらすっかり忘れてしまった。そんなことはよくあることだよ、という人もいるけれど、私はそんな自分が許せない。だから電話で平謝りしても、全然いいですよ、と言ってくれるのが、心底申し訳ない気持ちに拍車をかける。家早

          今日は歯科医院の予約を入れていたのに、どうでもいいYoutubeを観ていたらすっかり忘れてしまった。そんなことはよくあることだよ、という人もいるけれど、私はそんな自分が許せない。だから電話で平謝りしても、全然いいですよ、と言ってくれるのが、心底申し訳ない気持ちに拍車をかける。家早

          それでも都市はやめられない

           僕は小説を読んでいるとき、ふと、都市的なものを感じるときがある。でも文芸評論家でもないので、「都市」と「都市的」の違いなんてよく分からない。ただ都市が都会とは違うような気はする。「電脳都市」とはいうが「電脳都会」とはいわないし、「地方都市」とはいうが「地方都会」とはいわない。更に「都市小説」とはいうが「都会小説」とはいわない。何だか都市が気にかかる。仕方ないからちょっと考えてみた。 1.都市と文学 僕がよく読む作家の中で、その作品が第一線で「都市小説」と位置付けられている

          それでも都市はやめられない