新しいカメラが楽しい
4ヶ月ぶりにnoteを再開できたから今日も手を止めずに書いてみる。
前からずっと言ってることだけど、
何かを作る時に「何を作ろう」なんて決めなくていい。
それを考えてしまうと一気に気が重くなって、
「どうせならいいものを」、「もっとちゃんとしたものを」なんて他人を意識したようなことを考えてしまう。
ちょっとだけやるならそれでいい。
でも一生やっていくとなるとそれじゃ無理。死ぬ。
もっと洪水のように垂れ流さないと行けない。
好きなことでストレスを貯めるという一番悲しい状態に陥ってしまう。
それだけは避けたい。でも苦しまなきゃつくれないものもある。
苦しみを逃れてばかりいたら大した仕事はできない。
要はバランス。なんでも偏ってたらいい感じくない。
肩の力を抜いてスッスッといこう。手を止めないことが一番大切。
それでいうとこのnoteは4ヶ月も手を止めていた。
どうしてだろう。
僕の場合は読み返しちゃったからだと思う。
振り返っちゃ行けない。
特に自信のないものに関しては絶対に見返しちゃいけない。
それをやるとすぐに自己否定祭が開催される。
今日からまた、全く見返さない、修正しない、うまくやろうとしないnoteを始める。
断続も継続のうち。自分のペースで良いのである。
他人にするみたいに自分に優しくするのだ。
でないとアイデアを出し続けるのは不可能だ。
誕生日にシモンからカメラをもらった。
DJIのOSMO Pocket2。
シモンは持ってても使わなそうってことで、譲ってくれた。
今はこれが楽しくてしょうがない。
去年の誕生日の時もマイヤ・イソラの映画に連れていってくれてそこから
リスナーの家に泊まりにいく「ネオヒッピートリップ」が始まった。
いつも俺に変革を起こしてくれるサイモンには感謝しかない。
僕は自分のことを音楽家とも画家とも思ってないので、
今はこのカメラでできることばかりを考えている。
僕は小さい時からずっとスモールライトで小さくなることへの憧れが強かった。
レゴで遊んで家や街を作っている時も、「この中に入りてぇ」とばかり思っていた。
ごく普通の欲望だとは思うけど、人一倍強かったのか小学校の作文の時も
それをテーマにした小説を書いて全員に配られる文集に載せてた笑
今思うとだいぶぶっ込んでたな。
あの何も気にしないで書きたいから書いてたあの感じ。
絶対に死ぬまで忘れたくない。
話が逸れたが、そーゆー映像をこのDJI Pocket2で撮っていこうと思ってる。
小さくなって街や森を探検してみたい。
何気ない景色も小さくなるだけで大冒険になる。
世界は実はとてつもなくエキサイティングなことを思い出せる。
自分の為にそーゆー動画を撮りまくりたい。
幸い音楽は自分で作れる。
お金を払って誰かに依頼しなくても自分でBGMを作ってYouTubeにでも載せようと思ってる。
誰もみなくてもいい。やりたいからやる。
そうやって僕は僕自身を守り抜く。
金のことはできるだけ考えたくない。
でも金は欲しい。
開いた方向へ胸を高鳴らせて進めばお金は入ってくる。
今の所そうやって生きてきた。
なんとか死なずに生きてる。
同い年の人たちからするととんでもないカスかもしれないけど
僕はこうじゃなきゃ生きられない。
それだけは無視してはいけない。
今こそ自分に優しい言葉をかけ、友達にするように優しい言葉をかけ、
今日もバカみたいに何も考えないで生きていこうと思う。
結果それが一番いいとなんとなく知っているから。