![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70481356/rectangle_large_type_2_ea7b09e200cd8132adfa5b4573b37ecf.jpg?width=1200)
深谷、NOTE始めたってよ
みなさん、初めまして。
タイトルにもあるように、NOTEを始めました。実は、本名を明かさずにNOTEをたまーに更新していたのですが、なぜ本名を隠してやるのかという問いの答えが、浅はかなものだったことと、一人のプロサッカー選手として発信していくことの方が有意義になると感じた為、始めました。
初めての投稿なので、まずは軽く自己紹介をしようと思います。
ちなみにこのNOTEは残り3000字程度ですので3・4分間もあれば読み終えることが可能です。
名前:深谷 圭佑(ふかや けいすけ)
生年月日:1998年6月20日(23歳)
出身:愛知県豊川市
職業:プロサッカー選手
ポジション:ゴールキーパー
サッカーの経歴:豊川サッカースクール→FC豊橋リトルJセレソン→FC豊橋デューミラン→帝京長岡高校→立正大学→品川CC→WINNER’s→サガン鳥栖
こんな羅列しただけの自己紹介はおもんないので、私が現在やっていることと、過去の経歴を簡単に綴ります。
幼少期
私の幼少期は順風満帆な生活を送っていた。何を以て順風満帆と判断するか、ここでは自分自身の人生の納得度としよう。私の人生を他の人が同じように送っても順風満帆とは判断しない可能性があることは前提条件として知っておいてもらう。順風満帆の要因はいくつかある。
一つ目は姉の存在。2人の姉がいる私は他の人よりも先生や先輩に可愛がってもらうことが多かった。末っ子の特権だ。普通なら自分から開拓していかなければいけない人間関係を相手側から作ってくれることが多かった。当時は自分が人気者なのではないかと錯覚してしまいそうになったが真意は姉が作り上げた良好な人間関係のおかげだった。
二つ目は、足が速かったから。幼少期では、人間の抗うことが出来ない本能と言われるもののおかげで「足が速い=魅力的である」という式が完成していた。この理由は、人間としての差異が一番わかりやすいからであると考えている。小学生の頃は、絵が上手いとか話がうまいとか勉強が出来るとかの差が出にくい時期である。小学生の頃、学年で勉学のテストの順位がキッパリと出ることもない。しかし、足が速いという才能はタイムという全世界で共通している単位で確かめることができる。また、持久走大会や運動会という足が速い人と遅い人の優劣を見せるショーまがいの行事もある。だからこそ、小学生にとって魅力を判断しやすい。これが足が速い人が魅力的に映る要因であると考える。
要するに、私の幼少期は先天的な要因のおかげで順風満帆だった。
この時の私は、自分は特別な何かであると思っていた。
中学校
小学生まで自分は特別な何かだと思っていた。『特別な何か』とはSF映画で主人公だけ超能力が使えたりするあれである。そう思う根拠は幾つかあった。例えば、幼少期では誰よりも足が速かったり、読んだ小説のほとんどが映画化されたり、始めたGK(サッカーのポジション)で愛知県選抜に選ばれたり、、。
なんだ、俺はやっぱり特別なんだ。
でも、中学校に進学して俺より足が速い奴がたくさん現れた。読んでいた小説はうまくマーケティング手法を使って陳列されていることに気がついた。GKも周りの人に悠々と追い抜かれ愛知県選抜からも外された。
その時に理解した。俺は凡人なんだと。広く一般的な思考しか持ち合わせてない。天才という特別な類には入るような人間ではない。そのことに遅ればせながら気づくことが出来た。元々、鼻が伸びていても隠すような性格だった為、周りからは何も変わっていないように見えると思うが明らかに中学生からは小学生の時のような自信満々な雰囲気は消えていた。
そんな自分を変えるためにも高校進学は愛知県から親元を離れて新潟県の帝京長岡高校に行くことに決めた。
高校
帝京長岡高校は、今日のサッカー好きなら誰もが知っている強豪校と言われるようになった。しかし、当時は北信越では強豪と言われていたが全国的には中堅といった立ち位置に止まっていた。中堅と言われる高校でも、私からしたら未知のレベルだった。愛知県の小さな街クラブで、実績も何もない。もちろん自信もなかった。そして気付いてしまった。一番下手だと。そこからは、自分の武器は何なのか。足りない部分は何なのかということにフォーカスした。監督やコーチングスタッフのアドバイスを素直に吸収して自分なりに噛み砕いた。特に意識をしてはいなかったが、当時を振り返るとPDCAを自然と回せていた。
そして、高校卒業の時には入学時とは別人のような自分と出会うことが出来た。
大学
大学生では高校までと違いサッカー以外の部分にフォーカスすることが少なくなかった。18歳から22歳という子供から大人の過程を過ごす大学生活は一人の人間の価値観を創り上げる大切な期間だ。その価値観を作り上げた体験を紹介する。1つ目は言わずもがなサッカー部での活動である。そして、2つ目はアソビ、3つ目は就活である。
サッカー部での活動では、毎年自分たちで目標設定をしてどうすればその目標を達成できるのかについて試行錯誤した。社会に出る前に、60人ほどの組織で同じ目標を本気で目指すという体験はこの先、間違いなく活きてくると確信している。
次にアソビ。大学生になると責任は伴うもののやりたいことはほとんどできる。時間もあるし、バイトをすることで多少の資金も調達できる。その中で行ったアソビは、高校までのサッカーから得ることが出来た価値とは違った価値を私に魅せてくれた。特に注目したいアソビは2つ。
1つ目はヒッチハイク。サッカー部の友人と2人で2日間を通して埼玉の熊谷から兵庫の神戸までヒッチハイクで横断した。このアソビで理解した。人の暖かさ。冷たさ。見ず知らずの私たちを乗せてくれる方々の共通点。一歩目の重要性。友人との感情共有の楽しさ。
「やればできる」
初めてのヒッチハイクは、大学一年生の私に生き方を示してくれた。
2つ目はYouTube。大学3年生の頃から友人と2人でYouTubeを始めた。企画・撮影・編集を通して最終的に一つの作品ができる感覚は私にとって何よりも楽しい瞬間だった。作品一つ一つが私にとっては思い出であり一瞬で当時の記憶を呼び起こせる。このYouTubeを通して、私はモノづくりの楽しさを知った。時間をかけて創り上げる作品たちは本当に愛おしい。サッカーとは違う部分にも楽しさを見出すことができることを知れた。
他にも、神奈川の海岸で見た映画祭だったり、ネパールの孤児院に訪問をした。あらゆる場所に出かけたことにより何が私の感性を擽るのか、没頭できるのかなど、楽しいと感じる時の発動条件的なものを知ることが出来た。これからも価値観はアップデートされていくが、価値観の根幹を知ることが出来たことは本当に大きい。
ネパールの孤児院に訪問した時
逗子映画祭
次に就活。自分自身と向き合えた最高な時間だった。就活についてはまた詳しく記事にしようと思う。就活を通して自問自答を繰り返し、自分の中で定まった答えを友人や企業の方々にアウトプットしては、もっと深掘りできる部分を探してもらい、それを家に持ち帰り深掘りを開始。また、アウトプットしては、レスポンスをいただく。といったような、無限のサイクルを走り回った。答えはない。でも、深掘りをすればするほど、私の核に近づくことができる感覚は私の好奇心を刺激した。私は就活というイベントを単純に楽しめていた。就活は価値観形成の一翼を担うイベントだった。
その結果、就職をするのならばココだと思える企業から内定をいただいた。しかし、内定は断ることとなる。ここに関しては、いつか話そうと思う。
プロサッカー選手
大学を卒業しても、私は就職をしなかった。今の時代、就職をしなくても生きていけると思ったし、そのVISIONが私には見えていた。そして7月まで過ごした。それまでに色々なことが起きた。KONAMIさんが運営するYouTubeチャンネル[efootball]でチームを作ることになりそのチーム(WINNER'S)に加入したことなど、、
そして、8月にサガン鳥栖から、練習参加をさせていただけるというお話がきた。そして、2週間の参加の結果、2022シーズンから加入することが決まった。怒涛の半年間だった。
そのような経緯があり、
サガン鳥栖の選手としてリーグ開幕に向けて沖縄でキャンプをしている今がある。
これまでの人生で心得たことは
1人では生きていけないということ。
周りの人達のおかげで、1人の人間として生きていけていることを忘れてはいけない。
ここまで閲覧してくださった方々へ
今回のNOTEで私のことをざっくりですが知っていただけたと思います。今後もNOTEを通して多くの方々と感情や思考を共有していきます。興味があればフォローをしていただければ嬉しいです。また、各種SNSも行っています。インスタグラム・ツイッター 是非、覗いてみてください。
また、深谷圭佑と何かしたいと思ってくださった方がいればメールアドレス(kf.1power.ssgk@gmail.com)または各種SNSのDMまでご連絡ください!インスタグラム・ツイッター
EX)服を作りたい!イメージモデル!講演会!などなど、
ワクワクすることを一緒にやりましょう!
今、行っていること
1:プロサッカー選手
2:YouTube(投稿頻度少なめ) 気になった方はクリック!
3:NOTE(これから)
4: Ultras(プロジェクト参加)気になった方はクリック!