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竹家食堂神話の虚構性(上)


 札幌ラーメンは竹家食堂が発明したものである。

 この話は札幌のタウン誌「まんてん」とその主催者富岡木之介、そして北海道新聞が30年以上かけて広めてきたストーリーです。竹家食堂創業者大久昌治の長男、のぼるもこれを裏付ける証言をしています。

 ところが『「竹家食堂」ものがたり』において、創業者の四男大久昌巳はこの札幌ラーメン竹家食堂発明説を否定します。竹家食堂のラーメンは関東の支那そばがそのまま持ち込まれたものである、というのです。

 長男のぼると四男昌巳、どちらが正しいのか。

 実は大久のぼるの証言が正しいとしても、竹家食堂において札幌ラーメンが発明されたとはいえないのです。

 『「竹家食堂」ものがたり』における大久のぼるの証言によると、札幌ラーメンのルーツは王文彩が持ち込んだ山東料理、肉絲麺にあります。

 肉絲麺は手で伸ばす「拉麺」という製麺方法で作られた麺を、塩味の鶏ガラスープに入れたものです。

 以下の動画は牛肉麺の麺(拉麺)の作り方です。竹家食堂の肉絲麺の拉麺も、基本的にはこうやって手で引っ張って伸ばして作ります。


 『「竹家食堂」ものがたり』にはトッピングについての記述はありませんが、『にっぽんラーメン物語』における大久のぼるの証言によると、細切りにした豚肉を片栗粉をまぶして湯通ししたものと、筍、葱をのせたそうです。肉を糸のように細く切るので肉絲麺というのでしょう。

 この肉絲麺が、どのようにして「竹家食堂発明のラーメン」になっていったのか。

 まず、製麺方法が根本的に変わります。手で伸ばす拉麺から、ローラーで伸ばしカッターで切断する、機械を使った切麺になります。

 この機械製麺は、当時の東京において行われていた支那そばの麺の製麺方法です。『にっぽんラーメン物語』における大久のぼるの証言によると、創業者昌治は横浜から製麺機械を導入したそうです。

 製麺方法を抜本的に変えた理由は、肉絲麺が売れたため、王文彩の負担が大きくなっていたことにあります。負担を減らすために、製麺機械を導入したのです。

 ところがどうも、それだけが理由ではなさそうなのです。

 製麺機械を導入するとともに、麺にかん水を混ぜるようになったからです。

「竹家食堂」ものがたりP28

 王文彩の手延べ麺に、かん水は使いません。かん水を使った切麺は、当時東京で行われていた広東風の支那そばの製麺方法であり、現在のラーメン製麺法の主流でもあります。

 大久昌治は、省力化を名目に王文彩の手延べ麺を廃止し、当時東京で流行していた広東式の切麺に切り替えたのです。

 王文彩が竹家食堂をやめると、肉絲麺は抜本的に変わります。変わったというか、肉絲麺が廃止され、当時東京ではやっていた支那そばに取って代わられます。

 肉絲麺の特徴であった糸のように細切りにした豚肉は、煮豚への変更を経て最終的に広東の焼豚(チャーシュー)に変わります。これではもう肉絲麺とはいえません。

 たけのこの代わりに、東京や横浜の支那そばで使われていたメンマが使われます。

 スープも、鶏ガラの塩味から、東京や横浜の支那そば=豚骨を使った醤油味に変更となります。

 当時、大正時代の東京で支那そばといえば、浅草の来々軒が有名でした。明治43年に創業した来々軒が、支那そばを始めとした広東料理ブームを巻き起こしていたのです。

 竹家食堂の肉絲麺とそれを変更したラーメン、および来々軒三代目尾崎一郎が証言する来々軒のラーメンを比較すると、以下のような表になります

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(注 来々軒が製麺を機械化したのは昭和に入ってからですが、かん水を使った切麺という基本は変わりません。トッピングについては、大正7,8年ごろはなかったという証言もあります。こちらを参照)

 大久昌治は製麺機械の購入などの機会に横浜に出かけていました。当時流行していた支那そばを知らないはずはありません。

 昌治は明確な意思を持って、肉絲麺の代わりに東京/横浜の支那そばを導入したのです。

 四男の昌巳は母親のタツの証言を通じて、そのことを理解していたのでしょう。

 一方、小学生のころに麺料理の変化を目撃していた長男のぼるは、東京や横浜の支那そばを知らないため、支那そばへの変化を「発明」と勘違いした。そして父や母に確認することなく、勘違いをしたまま大きくなってしまった。

 札幌ラーメン竹家食堂発明説という偽神話は、長男のぼるの勘違いから生まれたのではないか。四男の昌巳は、この間違いを正そうとして「竹家食堂物語」を書いたのではないか。私はそう考えています。

 さて、竹家食堂の神話は札幌ラーメンの発明だけではありません。

 「ラーメン」という名前は、竹家食堂の大久タツが発明し、全国に広まったという神話もあるのです

 最近は札幌ラーメン発明説の信憑性に疑問が生じているため、竹家食堂といえばもっぱらこの「ラーメン命名説」のほうが取り上げられることが多いようです。

 ところが、この竹家食堂ラーメン命名説も、その詳細を検討すると信憑性に疑問がつくのです。

 竹家食堂神話の虚構性(下)に続きます。