新刊無料公開『新しいカレーの歴史 上』 「謎の幻視と『美味しんぼ』から始まった、間違いだらけのカレー史研究」その2
新刊『新しいカレーの歴史 上』〈日本渡来以前の諸国のカレー〉発売中です。よろしくお願いいたします。
新刊では海外の最新研究動向をふまえ、嘘・間違いだらけの日本のカレー史研究を全面的に刷新します。
『新しいカレーの歴史 上』冒頭部分無料公開 その2です。
第一章 謎の幻視と『美味しんぼ』から始まった、間違いだらけのカレー史研究
2.謎の幻視と『美味しんぼ』から始まった、間違いだらけのカレー史研究
ヘースティングズ総督がイギリスに初めてカレーをもたらした、C&Bが初めてカレー粉を商品化したといった日本人だけが騙されている嘘情報は、1989年に出版された新書版・森枝卓士『カレーライスと日本人』によって提唱された(ただしヘースティングズ伝承説は2015年の文庫化の際に撤回)。
そして翌年1990年に出版された当時の国民的人気マンガ『美味しんぼ』第24巻にこの本が取り上げられたことで、嘘情報が日本全体に拡散され、定着してしまったのである。
『美味しんぼ』第24巻には森枝本人が登場し、マンガの登場人物と会話をする。
たしかに森枝はカレー粉の起源をつかむために大英図書館に行ったのだが、カレー粉の起源に関する情報は何も得ることはできなかった。
森枝が大英図書館の成果として記述している内容(森枝 1989:93-103)は、日本の書籍でもわかるようなスパイス一般の歴史の話のみ。カレー粉の起源に関する情報は大英図書館では得られなかったのである。
この点が『美味しんぼ』では全く触れられていない。『美味しんぼ』の読者は、森枝はカレー粉の秘密を大英図書館で手に入れたと誤解していることだろうが、それは『美味しんぼ』の印象操作に騙されているのである。
森枝がヘースティングズ総督がイギリスに初めてカレーをもたらした、C&Bが初めてカレー粉を商品化した、カレー粉の発祥地はイギリスといった嘘情報を得たのは大英図書館ではなくその前段階、日本において。
森枝が嘘情報の根拠としているのは、当時C&Bの親会社であったネッスル社の日本語のパンフレット『カレークッキングアドベンチャー』。その内容を『カレーライスと日本人』から孫引きする。
その内容はC&Bのカレー粉の由来に関するもの。読んでいただければ分かる通り、ヘースティングズ総督がカレー粉を持ち込む前にイギリスにカレー粉及びカレーは存在しなかった、C&Bがカレー粉を商品化する前に商品としてのカレー粉は存在しなかったという情報は、全く記述されていない。当事者であるC&B(ネッスル)自身は、カレー粉を世界で初めて商品化し発売したとは主張していなかったのだ。
それどころかC&Bのカレー粉は“へスティングが持ち帰ったインドのカレー粉”、つまりインドに存在したカレー粉が起源であると書かれている。すなわちネッスルのパンフレットによると、C&B創業(1830年)の45年前、ヘースティングズが総督を辞任し帰国した1785年には既にインドにカレー粉が存在したということになるのだ。
ちなみにビクトリア女王は、C&Bがインド産カレー粉をコピーし販売した後も、C&Bのカレー粉は使用しなかったらしい。1899年にビクトリア女王の厨房に入った料理人Gabriel Tschumiによると、厨房のカレー粉はイギリス産品ではなく最高品質の輸入品(“the best imported kind”)、つまりインドからの輸入品であった(Tschumi 1974:69)。
森枝が根拠としているもう一つのテキストが、小学館の百科事典だ。
内容はネッスルのパンフレットと同じく、C&Bのカレー粉の由来に関するものだ。へーステイングズがインドから持ち帰ったものが、「カレー粉」ではなく「カリ」という謎の言葉に置き換わっているが、当事者のC&B=ネッスルがカレー粉だと主張しているのだから、ここはカレー粉の誤記と解釈すべきであろう。“混合し直した”という表現からも、スパイスミックスを意味することは明らかだ。
そして前述した通り、へーステイングズは1769年にインドに渡航後、1785年に帰国するまで16年間インドに滞在し続けており、イギリスに帰国していない(Lyall 1889:24-177)。へーステイングズが1772年に「カリ」を持ち帰ったという百科事典の記述は嘘だ。
そんな百科事典の項目ですら、ヘースティングズ総督がカレー粉を持ち込む前にイギリスにカレー粉及びカレーは存在しなかった、C&Bがカレー粉を商品化する前に商品としてのカレー粉は存在しなかったという情報は記述していない。
森枝は渡英してC&Bを訪問し、社員に面と向かってカレー粉は”日本では、百科事典にまでイギリスのC&Bがはじめて作ったって載っている”と主張するが(森枝 1989:82)、百科事典にはそのようなことは書かれていないのである。
念のため森枝が参照した小学館の百科事典の原本(『日本大百科全書・第6巻』(P4)(1985年))における「カレー粉」の項目を確認したが、やはり嘘情報の根拠となるような記述はなかった。「カレー料理」の項目も確認したが、同様である。森枝は平凡社の百科事典も引用しているが(森枝 1989:24)、そこにも根拠となる記述はない。
『美味しんぼ』から受けた印象によって、森枝の「発見」は大英図書館でなされたと勘違いしている人が多いかと思うが、一度1989年の新書版『カレーライスと日本人』をよく読んでいただきたい。森枝が嘘情報の根拠としているのは、ネッスルのパンフレットと小学館の百科事典だけなのである。
つまりヘースティングズ総督がイギリスに初めてカレーをもたらした、C&Bが初めてカレー粉を商品化したという嘘情報は、そんなことは書かれていない百科事典とパンフレットから引き出された嘘情報、森枝の謎の幻視能力によって生み出された嘘情報なのである。
さて、この謎の幻視体験についてだが、その背景にあるロジックについては、『カレーライスと日本人』の断片的な記述からある程度推測できる。
森枝はインドを訪問し、インドにカレー粉が存在しないことを確認する。
ガラムマサラのようなスパイスミックスは存在するが、イギリスのように全ての料理を一つのスパイスミックス=カレー粉で作るわけではない。マサラは多様なスパイス活用の一形態でしかない(森枝 1989:51)。
なのでインド人がカレー粉、というかイギリスにおけるカレー粉的なスパイスミックスの使用法をするわけがないというのが、森枝の認識である。
従ってネッスルのパンフレットにある“ヘイスティングが持ち帰ったインドのカレー粉”という記述は間違いであると、森枝は判断したのであろう。
つまり、ヘースティングズが持ち帰ったのはカレー粉ではなくマサラの一種であり、それがC&Bによってカレー粉に変化を遂げたと森枝は思い込んでいるのではなかろうか(あくまで想像であり、幻視の本当の理由は不明)。
だとすれば森枝は重要な点を見逃している。森枝の考えは、インドにはインド人しかいないという前提に立っているが、イギリスにカレー粉が登場した18世紀後半は、インド在住の外国人移住者が急激に増えた時期なのである。その外国人とはイギリス人だ。
カレー粉およびカレー粉を使ったカレーは、インド在住のイギリス人によって生みだされたのだ。
英語版ブリタニカ百科事典(オンライン版)の「curry」の項目には、次のような記述がある。
続きます。
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