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新刊一部公開『新しいカレーの歴史 上』 第五章:シャーロック・ホームズに学ぶ19世紀末のカレー(その2)

新刊『新しいカレーの歴史 上』〈日本渡来以前の諸国のカレー〉発売中です。よろしくお願いいたします。

新刊では海外の最新研究動向をふまえ、嘘・間違いだらけの日本のカレー史研究を全面的に刷新します。

以下に、「第五章:シャーロック・ホームズに学ぶ19世紀末のカレー」の一部を、試し読みとして公開します。


4.「白銀号事件」のマトンカレーはどのようなカレーだったのか?


  カレーが登場するもう一つの作品が「白銀号事件」。名馬「白銀号」が失踪し、調教師であるストレイカーが殺害された際に、ストレイカー家の夕食として出されていたのがマトンカレーだった。

夜直の厩務員にマトンカレーを運ぶメイドの前に、怪しい男が現れる

 なぜマトンカレーが出されたのか。その理由は謎解きの根幹に関わるので説明は省くが、マトンカレーほどストレイカー家にふさわしい食事はなかったと考える。

 なぜならストレイカー家は貧乏で、使用人も1人しかいないため、料理に金と時間をかけることができなかったからだ。マトンカレーは「貧乏暇なし」のストレイカー家にうってつけの、安くて調理に時間がかからない料理だったのだ。

 ストレイカー家の人員構成は、ストレイカー夫妻と3人の馬の世話係と使用人1名、子供なし。つまり大人6名に対し家事を行う人間が2名(妻、使用人)しかいない。

 この2名で大人6名分の家事(掃除、洗濯、料理等)をしなければならないのだ。これでは忙しすぎて、料理に十分な時間と手間を割くことができない。

 『BEETON'S BOOK of HOUSEHOLD MANAGEMENT』には、1,000ポンドから200ポンドまでの年収に応じて、雇うべき使用人の種類、人数が記述されている(Beeton 1861:8)。

 ストレイカー家の使用人のように、家事全般を担当する使用人をmaid-of-all-workという。

 ビートン夫人の見積もりによると、ストレイカー家のように家事要員としてmaid-of-all-workが1名しかいないという家庭は、年収150~200ポンドの収入が低い家庭。家族構成は、使用人1名と夫妻と子供、つまり大人が3名だ。

 ストレイカー家のように大人が6名(夫婦+4名)いる家庭では、料理専門のcookを1名雇わなければ、満足な料理ができないというのがビートン夫人の見積もりである。そしてそのような家庭とは、子供がいない=ナースメイド(養育係)がいらない前提で考えても、年収500ポンド以上の中流家庭でも裕福な方の家庭だ。

 当時の読者は、大人6名に対し家事担当の使用人が1人しかいないという設定を読んで、ストレイカー家は貧乏なのではないかと思ったに違いない。実際のところストレイカー家は金に困っており、それが事件の引き金を引いてしまうのだ。

 さらにストレイカー家の家事負担を増やす要因があった。ストレイカー家は馬の調教を行う関係から、人里離れた場所にある。近くの街タヴィストックから2マイルという距離にある、荒野の一軒家だったのだ。

 つまり買い物をするにも、往復4マイル(6.4キロメートル)の距離を移動しなければならない。買い物に時間がかかってしまうのだ。

 ガスはまず都市ガスとして都市部において広まり、次いでプロパンガスの登場により都市部以外にも広がっていく。ボンベに入ったプロパンガスの登場は20世紀であり、「白銀号事件」の時代には存在しない。

 いきおいストレイカー家では石炭を燃料に調理することになるので、ガスレンジと異なり清掃などの家事負担は重くなる。ビートン夫人の使用人の見積もりは石炭時代の話である。専任のコックが必要となる理由の一つが石炭だ。

 このような貧乏暇なしの状況では、コストと時間がかかるロースト料理などは、たまのハレの機会にしかできなかったろう。

 ローストとは使用人をキッチンに拘束する料理法である。使用人は下拵えから肉が焼き上がるまでの間、常にキッチンに待機しなければならない。

 ローストとは横から遠赤外線をあてて焼く料理法(現代のようにオーブンで肉を焼く方式は、19世紀の表現ではroastingではなくbaking)。下に皿をおいて滴る肉汁を受け止め、この肉汁を時々レードルですくい上げて肉全体にかける(basting)必要がある。このbastingを定期的に行うので、使用人がキッチンに拘束されるのだ。


bastingをする料理人

 使用人の作業はbastingだけではない。火加減の調節も気が抜けない作業だ。石炭の火は不安定なので、石炭を追加でくべたり、肉を熱源に近づけたり遠ざけたりして焼き具合を調節しなければならない。

 大きな塊肉のローストにおいては、spitに肉を刺し、そのspitを回転させることで肉の焼けムラを防ぐ。「白銀号事件」の頃に使われていたのはbottle jackという器具で、ゼンマイの力でspitと肉を回転させる。このbottle jackを監視し、回転が遅くなったら再度ゼンマイを巻き上げるのも使用人の作業だ。

Eliza Acton『MODERN COOKERY』におけるroastingの説明(Acton 1845:186)
右上の図が赤外線反射スクリーンの中央に据えられたbottle jack
bottle jackのspit(串)にjoint(塊肉)を固定し、上部のゼンマイを巻くと、肉は縦軸を中心に回転する
これを石炭のgrate(火床)の横に設置し、横からの赤外線で肉を焼くのがroastingという調理法
spit(串)の下にある 凹みには滴り落ちた肉汁がたまるので、定期的にこれをすくって肉にかける(basting)必要がある
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 ビートン夫人のローストマトンの調理時間見積もりは、haunchで4時間、loinで1時間半以上だ(Beeton 1861:342-343)。この時間プラス下拵えの間、使用人がキッチンに拘束されるのだ。

 さらにストライカー家の場合、生肉を購入するために、近くの街タヴィストックまで4マイルを往復しなければならない。この時間も負担となる。

 『BEETON'S BOOK of HOUSEHOLD MANAGEMENT』には、家族の日常的な夕食の献立表(PLAIN FAMILY DINNERS)が月ごとに2パターン、合計24パターン掲載されているが、最低でも週に1回はロースト料理を食べている。

 石炭レンジで定期的にローストを行うと、料理担当の使用人に大きな負荷をかける。なのでそのような家庭では、専任のコック1名を雇う必要があるのだ。

 次にマトンについて検討する。ストレイカー家の経済状況で購入できるマトンとは、いかなるマトンであったのだろうか?

 マトンに限っていうと、「白銀号事件」発表の1892年の時点では、以前と比べかなり安くなっている。John Burnett『Plenty and Want』によると、1880年以降に海外から安い冷凍ビーフや冷凍マトンが輸入されるようになったからだ。

 “The import of meat on a significant scale had to wait until the development of steamships with refrigerated holds which could bring whole carcasses across the oceans in perfect condition, and it took more than thirty years of experimentation in Australia and the Argentine before the first really successful cargo of frozen beef and mutton was brought from Melbourne to London in the s.s. Strathleven in 1880.Meat which had sold for 1.1/2d. a pound in Australia now fetched 5.1/2d. at Smithfield. Within a few years pork from the U.S.A., beef from the Argentine and lamb from New Zealand were flooding the English market. By 1902 the value of imported meat, either frozen or chilled, had reached nearly £50,000,000 and more than 56 lb. a year were consumed per head of the population. Cheap and good imported meat made a revolution in the diet of the working classes”
 “大規模な食肉の輸入は、肉を枝肉ごと冷蔵室に保存し、完璧な状態で輸送できる蒸気船の開発を待たねばならなかった。1880年にStrathleven号が、メルボルンからロンドンに冷凍牛肉と冷凍マトンを運ぶことに初めて実質的な成功を収めたが、それ以前にオーストラリアとアルゼンチンにおける30年以上の実験が必要だった。オーストラリアでは1ポンド1.5ペンスで売られていた肉が、スミスフィールドでは5.5ペンスの値段となった。数年のうちに、アメリカ産の豚肉、アルゼンチン産の牛肉、ニュージーランド産のラム肉が洪水のようにイギリス市場になだれ込んだ。1902年までに、冷凍もしくはチルド肉の輸入量は5,000万ポンド近くになり、人口1人当たりの消費量は年間56ポンド以上となった。安価で良質な輸入肉は、労働者階級の食生活に革命をもたらした。”(Burnett 1979:134-135)

 1895年出版の『BOOK OF HOUSEHOLD MANAGEMENT』によると、現在のロースに当たるマトンの部位LOINの値段が、国内産が1ポンド9.5ペンスであるのに対し、ニュージーランド産は5.5ペンス(Beeton 1895:25)。オーストラリアやニュージーランドのマトンはとんでもなく安かったので、冷凍輸送のコストを上乗せしてもなお、イギリス国内産のマトンの半額強の値段だったのだ。

 安い冷凍枝肉の輸入とガスレンジの普及により、ロンドンなどの都市部の貧しい人々にもローストの習慣が広がっていったが、1892年の時点において、タヴィストックまでの冷凍輸送、そこでの冷凍貯蔵インフラが整備されていたかは不明だ。

 だが、カレー用の肉ならば、既に安い輸入マトン肉がタヴィストックにも出回っていただろう。缶詰である。

 “The huge meat-canning firms of Chicago and Cincinnati came into the field about ten years later, starting with P. D. Armour in 1868. Tinned meat was regarded with a good deal of suspicion on medical grounds and certainly most of it seems to have been very unappetizing”
 “ Its only advantage was its cheapness from 5d. to 7d.”
 “1868年のP. D. Armour社を先頭に、約10年後にシカゴとシンシナティの巨大食肉缶詰会社がこの分野に参入した。缶詰肉は、医学的見地から相当疑問視されていたし、実際のところほとんどの缶詰肉はたいへん不味かったようだ。”
 “唯一の長所は、5ペンスから7ペンスという安さだった。”(Burnett 1979:134)

 まずい輸入缶詰マトンでも、カレーにすればなんとか食べることができただろう。

 安さだけではない。缶詰は使用人の労働の削減にも寄与する。ストライカー家の場合、缶詰を買い置きしておけば、生肉のように都度往復4マイルの買い物をする必要もなくなる。肉は既に加熱してあるので、調理時間も短くて済む。

 「貧乏暇なし」のストライカー家にとって、輸入缶詰肉を使ったマトンカレーこそが、身の丈にあった料理だったのだ。
 
 さて、「白銀号事件」および「海軍条約文書事件」という2つのホームズ作品にカレーが登場したという事実は、イギリスのカレー史的に意義深い事象である。カレーが豊かな中流階級の独占物ではなくなったことを意味するからだ。


 無料公開部分はここまでです。18世紀後半に中流階級の高級料理として普及したカレーは、19世紀後半には下層階級へと浸透していきました。その背景には、当時のイギリス社会、産業における様々な変化があったのですが、詳しい説明は『新しいカレーの歴史 上』を参照してください。


5.ホームズはどうやってカレーを食べたのか?に続きます