一膳飯の「異なる3つの意味」 東洋経済オンライン記事補足
東洋経済オンライン記事、公開しました。
記事中で重要な位置づけにある「一膳飯」という言葉ですが、「一膳飯」には3つの異なる意味があり、混乱を招く原因となっています。
現在ネットで検索すると、3つの意味のうち「2.枕飯としての一膳飯」が主にヒットしますが、記事中の一膳飯はこれとは異なる「1.デタチの膳としての一膳飯」ですので、注意が必要です。
1.デタチの膳としての一膳飯
葬式の際に、参加している近親者(生者)が死者とのお別れの際に食べる一膳の飯のことをいいます。死者にお供えするのは2.の枕飯としての一膳飯であり、同じ言葉「一膳飯」でも意味が異なります。
両者とも葬式と関連するためこの2つは混同されがちですが、食事の際には必ずおかわりをしなければならないという一膳飯のタブーに関連するのは「1.デタチの膳としての一膳飯」です。
文中に引用した民俗学者瀬川清子の説明です。
お読みになればわかるとおり、一膳飯のタブーに関連するのは生者が食べる一膳飯(デタチの膳)であって、死者に供える枕飯のことではありません。
柳田国男の説明も読んでみましょう。
最後の行において、“平常一膳飯を食ふものではない”つまり一膳飯のタブーは“デタチノゼン”が原因である(“此為である”)としています。
民俗学者以外の著作からも引用します。平野雅章『食物ことわざ事典』と本山荻舟『飲食事典』。いずれも一膳飯のタブーに関連するのはデダチの膳であり、枕飯としての一膳飯ではありません(イラストは枕飯ですが……)。
2.枕飯としての一膳飯
葬式の際に死者に一杯のご飯を捧げることを枕飯といいます。枕飯は地方によって様々な言葉で表現されており、枕飯を一膳飯と呼び習わす場合もあるようです。
食事の際には必ずおかわりをしなければならないという一膳飯のタブーの「一膳飯」とはこの枕飯のことである、という言説を書籍あるいはネットで散見しますが、出典が不明確なので、記事中では柳田国男、瀬川清子ら民俗学者が主張する「1.デタチの膳としての一膳飯」=一膳飯のタブー原因説を採用しています。
3.一膳飯屋の一膳飯
江戸時代から戦前にかけて、一膳飯屋という外食店が一膳飯を提供していましたが、この場合の「一膳飯」はもちろん、葬式ともタブーとも関係ありません。
一膳飯屋の一膳飯とは、一膳ごとに料金を取る、つまり食べ放題ではない飯のことを意味します。
これは三田村鳶魚による一膳飯の起源とその資料についての解説ですが、一膳飯は盛切あるいは一膳盛ともよばれ、一杯ごとに10文の料金を取っていたことがわかります。
この一膳飯屋、よく言えば大衆的な、悪く言えば下層階級の人々を顧客とする店でした。文政8年(1825年)の滝沢馬琴編『兎園小説別集』には次のように書かれています。
馬方、駕籠かき、棒手振り商人は、当時下層階級とされた職業です。三田村鳶魚が引用している近松門左衛門作品の登場人物、一杯10文の一膳飯を食べていた丹波与作も、馬方という設定です。
明治時代には駕籠かきにかわって人力車夫が顧客に加わります。盛切りの一膳飯、丼飯を食べていたのは、彼ら下層階級の人々でした。
料亭(料理茶屋)などの高級店のご飯は食べ放題、ご飯代はセット料金に含まれます。ただ、それだとどうしても値段設定は高めとなります。
食事料金を最低限に抑えたいという人々にとっては、ご飯一杯ごとに料金を払うほうが安上がりに済みます。そのようなニーズに応えたのが、一膳ごとに料金を取る一膳飯屋だったというわけです。
ちなみにこの一膳飯屋、大正時代以降に洋食や中華料理をメニューに加えるようになり、名称も一膳飯屋から「食堂」「大衆食堂」へと変化していきます。
一膳飯屋という名称が変化した経緯については、西洋料理大衆化の歴史を明らかにした拙著『串かつの戦前史』を参照してください。