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無料公開『牛丼の戦前史』第一章「ミスター牛丼、窮地に立たされる」その3「嘘をつかない男」

『牛丼の戦前史』の第一章「ミスター牛丼、窮地に立たされる」を無料公開いたします。

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それでは『牛丼の戦前史』第一章「ミスター牛丼、窮地に立たされる」をお楽しみください。


3.嘘をつかない男

”それまで東京・築地でやっていまして、その店で年間1億円売るのが夢だったんですが、昭和40年に目標が実現しました。だが、いざ年間1億円を達成してみると、次にどうするかということになった。”

”たまたま、ある雑誌で、”3億円レストラン実現セミナー”の記事を見まして、行ってみると、答えは簡単、1億円の店を3つつくりなさいということだった。いま、1億円売れる店の技術ができたのだから、これを3つつくればよい、ということに気づいたわけです。アメリカのレストランを見学するツアーにも参加して、チェーン組織でやらねばいけないと決心したのです。”

中村秀一郎「社長訪問」『月刊中小企業 昭和53年7月号』所収

年商1億円を達成した松田瑞穂は、セミナーに発想をえて、吉野家のチェーン化を志すようになる。

チェーン化の第1号店として開店したのが新橋店。そこに時給の高さとまかないで出された牛丼のうまさに惹かれ、アルバイトとして入店したのが安部修仁であった。

松田瑞穂は、他の企業以上に人材の育成に力を注いでいた。

チェーン店の拡大にはそれを支える人材の供給が不可欠だったが、時はおりしも高度経済成長時代。どこも人手不足な上に、吉野家はチェーン化を始めたばかりの牛丼屋である。あえて牛丼屋に就職する志をもった若者など、望むべくもなかった。

そこでアルバイトで入った若者の中から、適正がありそうなものをリクルートして育てる方式を確立したのである。高いアルバイト時給というのは人材一本釣りのための「撒き餌」でもあった。

”僕らの給料よりセミナー費用のほうが高いぐらいに、教育には投資してくれていました。”

安部修仁 伊藤元重『吉野家の経済学』 

安部によると、松田瑞穂は”税金を収めるより人に投資したほうがいい”と言っていたという。(週刊東洋経済『さようなら、ミスター牛丼』 )


安部は後に会社負担で米国に語学留学までしている。有望な若者には金を惜しまず教育を施し、大きな仕事を次々と任せる。高卒のアルバイターが後に社長にまで上り詰めた背景には、松田瑞穂独特の人事哲学があった。

チェーン店化の速度は、最初は遅いものだった。最初のチェーン店、築地店につぐ2店目新橋店がオープンした昭和43年から、5店目の新宿東店まで4年の年月がかかっている。

しかし昭和49年から出店は加速し、昭和51年に50店舗、昭和52年に100店舗、昭和53年に200店舗をこえ、さらにアメリカに200店舗を作る構想が発表される。

そしてその2年後、昭和55年に、急ぎすぎた経営拡大のひずみが原因となって、吉野家は経営破綻するのである。

株を手放した松田瑞穂は経営から退き、会社更生法により裁判所に指定された管財人が吉野家の経営再建に当たることになる。その配下で実働部隊として再建を担ったのが、安部をはじめとする若い松田チルドレンであった。

「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」という言葉があるらしい。松田瑞穂は金こそ残さなかったが、吉野家という仕事と、安部たち人材を残したのである。

やがて吉野家はセゾングループの支援を受け再建を果たし、弱冠42歳の安部修仁が社長に就任する。松田瑞穂以来の吉野家出身プロパー社長である。

当時セゾングループから会長に送り込まれていた和田繁明は、若い安部を社長に選んだ理由をつぎのように話す。

”きちんと仕事して、人望を積み重ねている人物に託そうと決めていたんですね。安部君は絶対に嘘は言わないし、スタンドプレーもしない。大衆をうならせるような演説をするやつではなくて、 着実に堅実に誠実に1つのことをやり続ける。”

戸田顕司『吉野家安部修仁 逆境の経営学』

嘘をつかない。安部自身も、自らが再建の中心となり、後に社長にまで上り詰めた理由の一つは、嘘をつかないことにあったと語っている

”なんせ、うそは言わないようにしていましたからね。相談を受けたら、相手にとっても会社にとっても共通の利益、目標になることは何かと考えて、それを伝えて。”

週刊東洋経済『さようなら、ミスター牛丼』 

ミスター牛丼という安部の二つ名は、経済誌や専門誌の記者の間で自然発生したあだ名である。安部がミスターと呼ばれるようになった理由の一つは、嘘をつかないという紳士的な姿勢にあったのではないかと考える。

というのも、外食産業の経営者というのは一癖も二癖もある人物が多く、自分の功績を誇張したり、嘘くさい自慢話をする人が多いからだ。業界をよく知っている記者たちからすれば、嘘をつかないという安部の姿勢は、実に新鮮に映るのだ。

そのような一癖も二癖もある、嘘くさい経営者の一人が松田瑞穂だ。

今まで述べてきた吉野家の歴史には、松田瑞穂がついた嘘が多く含まれている。そして嘘をつかない安部はあっさりと、松田が嘘をついていたことを認めてしまうのである。

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