
デュルケーム先生をOpen AI Deep Researchで召喚してみた
chatGPTさんは、イタコ芸も得意らしいので、試してみました。
こんな感じではじめて…
デュルケームという自殺論という本を書いた有名な社会学者がいます。この人がもし現代に生きていたとしたら、どのようなテーマを選択し、どのような著書を書いたかを想像し、最も有力な候補について、実際にその著書を書いてみてください。出力は日本語で400ページ程度になると想定しています。
以下の内容でレポートを作成してもらうことになりました
興味深いテーマですね。デュルケームが現代に生きていたと仮定し、「社会的連帯の変容」に関する著書を執筆するとしたら、どのような内容になるかを探求します。
彼の理論を基盤にしながら、現代社会における個人主義の進行、グローバル化、デジタル化、労働環境の変化などが共同体意識に与える影響を考察し、現代の社会的連帯の新しい形を提示するような内容を想定します。
具体的な構成や議論の展開について調査し、著書の形にまとめてお伝えしますので、お待ちください。
デュルケームさん自身としてふるまってもらったのですが、それにはもう少し工夫が必要な感じですが、過去の著作から基本的な考え方を抽出してそれをもとに現代的な内容について論じているのは面白いなと思いました。
社会的連帯の変容
1. デュルケームの社会的連帯の理論概観
エミール・デュルケームは著書『社会分業論』(1893年)において、社会的連帯には「機械的連帯」と「有機的連帯」という2つの理想型があると提唱しました (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica) (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。機械的連帯とは、社会の構成員が共有する価値観や信念によって生まれる連帯であり、主に分業が発達していない前近代的な社会に見られます。そこでは強い「集団意識」(collective conscience)が成員の行動を内部から方向づけ、各個人は類似した生活様式や価値観を持つために深い一体感が生じます (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。デュルケームはこの状態を「機械的」と呼びましたが、それはちょうど分子同士が内部エネルギーによって固く結合するように、人々が同質性によって機械的に結びつくことを示唆しています (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。
一方、有機的連帯は、社会成員の機能的な相互依存に基づく連帯です。産業化や高度な社会的分業によって人々の役割が高度に分化した近代社会では、各個人が異なる機能や専門性を担いながらもお互いのサービスに依存しあっています (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。デュルケームはこの状況を生物体になぞらえ、各人が社会という「生きた身体」の臓器のように分化しつつ協調することで統合が保たれると考えました (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。すなわち、有機的連帯のもとでは人々は異質性を増しながらも分業を通じて深く結びつき、契約や法などにより各人の関係が調整される社会秩序が成立します (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。こうした社会では、もはや全員に画一的な規範を押し付けるのではなく、異なる集団や個人同士の関係を調整するルール(契約法や restitutive law)が重視されるとされました (Mechanical and organic solidarity | Durkheim, Division & Society | Britannica)。
デュルケームの理論では、社会の発展に伴い連帯の形式も機械的連帯から有機的連帯へと進化するとされます。しかしその過程では旧来の規範や価値観が弱まり、新たな規範体系が十分に確立されない過渡期においてアノミー(規範混乱)の状態が生じうることをデュルケームは指摘しました。例えば、伝統的社会から産業社会への急激な変化は、社会的統合の原理が転換するため旧来の秩序が崩れ社会的規制が真空状態になる恐れがあります (Concept of Anomie (Durkheim) - SozTheo)。デュルケーム自身、自殺研究(『自殺論』1897年)の中で、近代社会における急速な変化が個人と社会の絆を弱め、「アノミー的自殺」や「利己的自殺」を誘発することを示しました。それまで人々を結びつけていた宗教的・共同体的な規範が弱まる一方で、新たな連帯原理が未成熟な状況では、社会全体の統合力が低下し無規範状態に陥るのです (Concept of Anomie (Durkheim) - SozTheo) (Concept of Anomie (Durkheim) - SozTheo)。しかしデュルケームは、この危機を乗り越えるために新たな道徳的秩序の必要性を説きました。それが彼の言う「道徳的個人主義(人格の崇拝)」であり、近代社会では各個人の尊厳と権利を最高の価値として共有することが、新たな連帯の基盤になると期待したのです (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。すなわち、社会の世俗化と多様化が進む中でも、「人間個人は侵すことのできない尊厳を持つ」という信念自体が社会的な宗教となり、これが近代社会の集団意識を形成して人々を統合すると考えられました (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。
要約すると、デュルケームは前近代から近代への移行期における社会的連帯の変容を理論化し、同質性に基づく機械的連帯から、分業と相互依存に基づく有機的連帯への発展を示しました。そして近代社会にふさわしい連帯を維持するためには、個人主義そのものを道徳的に昇華し、全員で個人の尊厳を擁護するという新たな共有価値(道徳)を確立する必要があると論じたのです。
2. 現代社会における個人主義と社会的連帯の変容
デュルケームの時代から1世紀以上が経過した現代社会では、彼が予見したように個人主義の進行が社会の重要な特徴となっています。実証研究によれば、経済発展に伴って世界各国で人々の価値観や行動がより個人主義的になる傾向が観察されています。例えば、1960年から2011年にかけて世界78か国のデータを分析した研究では、**「個人主義的な慣行と価値観が世界全体で約12%増加した」**ことが報告されています (Individualistic Practices and Values Increasing Around the World – Association for Psychological Science – APS)。これは従来個人主義が強いと考えられていた西欧諸国に限らず、非西欧・非工業化国も含めたグローバルな傾向であり、著しい経済成長や都市化、教育水準の向上などがその背景要因として指摘されています (Individualistic Practices and Values Increasing Around the World – Association for Psychological Science – APS)。要するに、現代はデュルケームの時代以上に「個人」が前面に出る社会だと言えます。
このような個人主義の浸透は、人々の意識や生活様式のみならず、共同体との関わり方にも大きな変化をもたらしました。ポスト工業化社会では地縁・血縁による伝統的な共同体の結束力が弱まり、家族や地域社会よりも個人の選択や自由が重視される傾向が強まっています。デュルケームが指摘した機械的連帯の基盤であった同質的な価値観は、社会の世俗化・多元化によってかつてほどの強制力を持たなくなりました。その結果、社会的連帯は一時的に弱体化し、デュルケームが懸念したようなアノミー的状況――すなわち共有の規範や目的意識を見失った状態――が現代にも顔をのぞかせています。
実際、現代社会における極端な個人主義(ハイパー個人主義)の進行は、社会的孤立やコミュニティの希薄化といった現象を招いているとの指摘があります。個人の自由や自己表現の尊重が発展する一方で、「過度な自己中心主義」が共同体意識や公共心の衰退をもたらしうるのです (How individualism transformed Western societies) (How individualism transformed Western societies)。例えば米国を中心に議論された「ボウリング・アローン」の問題に象徴されるように、人々が地域社会の団体や隣人付き合いから離れ、孤立化する傾向が報告されています。実際、アメリカでは近年、人々のボランティア活動や選挙投票率、地域組織への参加率が低下しており、社会的な連帯感や「お互い様」の精神が薄れてきているとするデータもあります (How individualism transformed Western societies)。デュルケームが危惧したように、伝統的価値の拘束力が弱まった社会では各人が自己の利益や目標を優先しがちであり、それが行き過ぎると**「コミュニティの崩壊と集団責任の衰退」**を引き起こすと論じられています (How individualism transformed Western societies)。とりわけ、現代の都会的なライフスタイルでは家族や隣人との絆が希薄化し、仕事や趣味で頻繁に転居・転職することもあって、人々の帰属意識は流動的になりました。このような環境では、人々は従来型の共同体から切り離され、社会的孤独感や無力感を抱えやすくなります (How individualism transformed Western societies) (How individualism transformed Western societies)。
具体的な兆候として、「孤独」や「孤立」の問題が世界的に注目されています。ある調査では、アメリカ人の半数以上が「自分は孤独だ」と感じていると報告されました。また、日本でも単身世帯の増加や高齢者の孤独死といった社会問題が指摘され、個人主義の進展に伴う人間関係の希薄化が懸念されています。デュルケームの用語を借りれば、現代の高度に個人化した社会では「利己的自殺」のリスクが高まっているとも言えるでしょう(利己的自殺=社会への統合が弱まり、自分一人が生きる意味を見失った結果としての自殺)。
もっとも、デュルケームは個人主義そのものを否定していたわけではありません。彼が批判したのは無制限な自己本位(アノミー的個人主義)であって、むしろ健全な近代社会には人権や個人の尊重といった「道徳的個人主義」が不可欠だと考えていました (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。現代の社会学者や思想家の中にも、個人の自立と社会的連帯を両立させる方向性を探る者がいます。その一つの方向性が「コネクテッド・インディビジュアリズム(connected individualism、連帯的個人主義)」と呼ばれる考え方です。それは、**「個人の自律と社会的結びつきは相反するものではなく、むしろ両立し得る」**という視点に立ち、各人が自らの目標を追求しながらも同時に自分がより大きな共同体の一部であることを自覚する生き方を促すものです (How individualism transformed Western societies)。具体的には、個人の権利や自由を尊重する一方で、共同体に対する責任や貢献をも重視する文化を育むことで、自由と連帯のバランスを取ろうという試みです (How individualism transformed Western societies)。デュルケームの理論に照らせば、これはまさに彼が説いた「人格の尊重」を核とした新たな集団意識を醸成する取り組みと捉えることができるでしょう。現代社会における個人主義の進行は避け難い趨勢ですが、それを社会的絆の崩壊に直結させるのではなく、新たな連帯の形に昇華させることが問われているのです。
3. デジタル化と新しい共同体の形成(SNS、オンラインコミュニティなど)
現代社会の連帯の変容を語る上で、インターネットとデジタル技術の普及は欠かせない要因です。デュルケームの生きた19世紀末には存在しなかったオンライン空間が21世紀の今日では人々の重要な生活圏となり、新たな共同体や連帯の形が生まれています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やオンラインフォーラム、ブログ、チャットコミュニティなど、デジタル上のプラットフォームを通じて、人々は地理的・時間的な制約を超えて繋がり合うことが可能になりました。
このデジタル化がもたらす社会的連帯への影響は両面性を持っています。一方面では、インターネット上に無数の「コミュニティ」が生まれ、従来は出会うことのなかった人々同士が共通の関心や目的にもとづいて結びつく機会が飛躍的に増加しました。趣味のサークルや患者の支援グループ、ファンコミュニティ、オンラインゲームのギルド、さらには政治・社会運動のプラットフォームまで、ネット空間の中で形成される集団は多種多様です。例えば、環境問題や人権問題に取り組む社会運動では、ハッシュタグを用いたキャンペーンやオンライン署名活動によって世界中の賛同者が瞬時に連帯し、協調行動を起こすことが可能になっています。実際、SNSを介したオンライン・アクティビズム(デジタル時代の社会運動)は、新しい連帯の形として注目されています。研究によれば、オンライン上の活動は物理的に離れた個人同士に「仮想的な共同体」を形成させ、共通の目的のために人々を結集する力を持っています (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World) (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World)。たとえばアフリカ諸国で若者たちがSNSを活用して腐敗や不正に抗議する #EndSARS や #FixTheCountry といったムーブメントを展開し、瞬く間に多数の支持者を集めた事例があります (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World) (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World)。このように、デジタル技術は情報拡散と人々の動員を容易にし、従来は声を上げにくかった周縁的な人々にも発言の場を提供しました。その結果、オンライン空間では年齢、人種、性別、国籍を超えて「共通の目的意識」を持つ人々が繋がり、互いに連帯感を醸成することが可能になっているのです (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World) (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World)。デュルケームの概念になぞらえれば、オンラインコミュニティの中には、参加者が同じハッシュタグやメッセージを共有し強い一体感(機械的連帯的な要素)を感じるものもあれば、異なるバックグラウンドを持つ人々が役割分担して協働することで目的を達成する有機的連帯的な要素もあるといえるでしょう (“Things Fall Apart?” Prospects of Solidarity in a Precarious World)。
しかし他方で、デジタル化は社会的連帯に新たな課題も投げかけています。まず指摘されるのが、オンライン上の繋がりは「弱いつながり」である場合が多く、対面での深い人間関係に比べて浅薄になりがちだという点です。SNSで数百人と「フレンド」になっていても、実際に困ったときに頼れる人はごくわずか…といった状況は、多くの人が実感するところでしょう。研究者らは、ソーシャルメディアは確かに新しい形の社会関係資本を生み出しうるものの、その設計次第ではむしろ**「選好の合う者同士だけが集まり、異なる意見に触れなくなる場」を作り出し、社会の分断や対立を深める可能性があると指摘しています (Do social media undermine social cohesion? A critical review - González‐Bailón - 2023 - Social Issues and Policy Review - Wiley Online Library)。事実、FacebookやTwitter(現X)上では政治的に対立するグループがそれぞれに凝集し、互いに攻撃的な言説を交わす「エコーチェンバー現象」や「フィルターバブル」が報告されています。このような傾向は社会的連帯を全体として見ると、一部の同質的集団内部での連帯(疑似的な機械的連帯)が強まる一方で、異なる集団間の対立が先鋭化し社会全体としての統合が危うくなる**リスクを孕んでいます。
さらに、SNSのタイムライン上でのやりとりや、オンラインコミュニティでの関係は、その流動性の高さゆえに持続的な紐帯の形成が難しい場合もあります。簡単に参加できる反面、興味が薄れればすぐに去れてしまうため、伝統的な村落共同体のように人生の長期にわたって人々を結びつける場とはなりにくいのです。また、匿名性ゆえのモラルハザードや誹謗中傷の問題も、共同体意識の形成を阻害します。デュルケーム流に言えば、ネット上では従来の宗教や道徳による拘束が弱まりがちなため**「アノミー的」**な言動も生じやすく、健全な連帯形成には一定の規範作り(モデレーションやコミュニティガイドライン)が必要になるでしょう。
総じて、デジタル化によって社会的連帯の風景は大きく変容しました。物理的距離を超えて容易に連帯できる可能性が開けた一方で、人々を繋ぎとめる絆は流動化・断片化し、新たな対立軸も生まれています。デュルケームが強調した連帯の重要性は形を変えこそすれ、インターネット上でもなお重要であり、むしろ現代人は「デジタル共同体」における連帯の在り方を模索している段階だと言えるでしょう。オンライン上でいかに信頼と共通価値を醸成し、真の意味で人々を支え合える共同体を築くかが、現代の社会的連帯の課題となっています。
4. 労働環境の変化と社会的連帯の再構築(リモートワーク、ギグエコノミー)
現代社会のもう一つの顕著な変化は、労働環境と働き方の多様化です。20世紀型の大量生産・大量雇用モデルが崩れ、21世紀にはインターネットやモバイル技術の発達とともにリモートワーク(遠隔勤務)やギグ・エコノミー(単発仕事請負型の経済)が拡大しました。これらの変化は、職場における人間関係や労働者同士の連帯にも大きな影響を与えています。
まずリモートワークに関して言えば、コロナ禍を契機として世界的に在宅勤務が急速に普及し、多くの企業で従業員がオフィスに出社せず自宅やサテライトオフィスから仕事をする形態が一般化しました。リモートワークは通勤時間の削減や柔軟な働き方を可能にするなど多くの利点をもたらす一方で、**「職場での非公式な交流や対面接触の欠如」という課題があります。日々顔を合わせて雑談したり、一緒に食事をしたりという何気ないやり取りが減少したことで、従業員同士の連帯感やチーム意識が希薄化しやすくなります。実際、ある調査では「リモート勤務者は出社勤務者に比べて職場で孤独を感じるリスクが2倍高い」**との結果が報告されています (The loneliness epidemic is undying among remote workers - WorkLife)。在宅勤務者の過半数が「同僚とのつながりが弱まった」と感じている一方で、ワークライフバランスの改善などの恩恵もあるために問題が表面化しにくいという指摘もあります (The loneliness epidemic is undying among remote workers - WorkLife)。しかし、長期的に見て職場での孤立感が高まることは働く人のメンタルヘルスに悪影響を及ぼし、組織に対するロイヤリティ低下にもつながりえます。リモート下でチームの一体感を維持するため、企業はオンライン上での朝礼や雑談の場づくり、バーチャル懇親会など様々な施策を講じていますが、対面に代わる完全な解決策を見出すのは容易ではありません。
次にギグ・エコノミーについて見てみましょう。ギグ・エコノミーとは、ウーバーや配達代行、フリーランスのプロジェクト契約などに代表されるように、組織に長期雇用されるのではなく個々の仕事(ギグ)単位で働く就業形態を指します。ギグワーカーの多くは伝統的なオフィスに所属せず、仕事ごとに異なるクライアントと契約して働きます。このような働き方の自由度は魅力的であり、働く時間や場所を自分で選べるなど高い柔軟性が利点として挙げられます。しかしその反面、「同僚」という概念が希薄であるがゆえに、仕事上の繋がりが断片的で孤独になりやすい側面があります。オフィスに行けば同僚と顔を合わせて情報交換したり愚痴を言い合ったりできましたが、ギグワーカーはプロジェクトが終われば関係も途切れてしまうことが少なくありません。研究でも、ギグ経済で働く人々は**「職場での社交的要素を見逃しがちで、一日中一人で働くことによる孤立感を抱えやすい」**と報告されています (The Pros and Cons of the Gig Economy)。実際、フリーランスで在宅仕事をする人の中には「朝から晩まで誰とも話さずPCに向かっている」という状況も珍しくなく、その結果ストレスや不安感が増大するケースも指摘されています (The Social Connection: Building Community in The Gig Economy | by Brandon | Startup Stash)。ギグワーカー自身、「自分は組織の一員ではなく取り替え可能な存在に過ぎないのではないか」という不安や、社会保障の欠如による将来への不安を抱えることもあります。
このように、リモートワークやギグ・エコノミーの広がりによって従来の職場共同体の形骸化が進む一方、興味深い新しい動きも出てきています。それは、孤立しがちなリモートワーカーやギグワーカー同士が新たな形でつながり、連帯を模索する試みです。例えば、都市部ではフリーランサー向けのコワーキングスペースが普及し、雇用主は異なっても同じ空間で働く人々がゆるやかなコミュニティを形成しています。そこでは日替わりで顔を合わせる仲間がおり、情報交換や相互扶助が行われています。また、オンライン上でもリモートワーカー向けのフォーラムやチャットグループ、Slackコミュニティなどが作られ、会社の枠を超えて悩み相談や技術共有をする場が生まれています。これは、従来は企業内で提供されていた「仲間意識」や「相談相手」といった連帯資源を、新たな形で補おうとする動きと言えるでしょう。
さらに、ギグワーカーによる組合的な連帯の芽生えも見逃せません。伝統的な労働組合は正社員を中心に組織されてきましたが、近年ではウーバーのドライバーやフードデリバリーの配達員など、プラットフォーム労働者が待遇改善を求めてストライキや集団交渉を行う例が各国で出てきています。表面的には各自が「個人事業主」として独立に働いているように見えるギグ経済においても、実際には大元のプラットフォーム(UberやDoorDashなど)に対して共通の利害関心を持つため集団的行動が発生しているのです (Antagonism beyond employment: how the ‘subordinated agency’ of labour platforms generates conflict in the remote gig economy | Socio-Economic Review | Oxford Academic)。研究によれば、ギグワーカーたちはプラットフォーム企業に対して手数料の引き下げやアルゴリズムの透明化、発言権の保障などを求めて結束し、労働組合に似た組織化を模索する動きを見せています (Antagonism beyond employment: how the ‘subordinated agency’ of labour platforms generates conflict in the remote gig economy | Socio-Economic Review | Oxford Academic)。デュルケームの理論に照らせば、本来有機的連帯が機能するには各人が公正に扱われ互恵的関係が成り立つことが前提ですが、ギグ経済ではその前提がしばしば揺らぐために連帯が阻害される面があります。しかし逆説的に、その不安定さゆえに「新たな連帯」を求める声も生まれているのです。プラットフォーム企業への抗議や、ギグワーカーのためのオンライン組合設立の試みなどは、21世紀型労働者の連帯の萌芽として注目されます。
要するに、労働環境の変化は従来のような会社や職場を単位とした連帯を弱める一方で、個人単位で働く人々が新しいネットワークを通じてゆるやかに繋がる動きを促しています。また従来は見えにくかった労働者間の利害の共通性がプラットフォームを介して意識化され、連帯行動につながる例も出てきました。デュルケームが有機的連帯の中核と見なした「相互依存」の関係は、雇用形態が変わってもなお存在しており、むしろそれが見えにくくなった状況下でいかに可視化し連帯へと結実させるかが課題となっているといえます。現代の働き方に即した新たな連帯の枠組み――例えばフリーランサー組合やオンライン上の専門職コミュニティなど――が今後一層発展していくことが期待されます。
5. グローバル化がもたらす社会的連帯の可能性と課題
グローバル化は現代社会の連帯に二重の影響を及ぼしています。一つは、国家や地域の境界を超えた地球規模の連帯の可能性が広がったこと、もう一つは、従来のローカルな連帯が揺らぎ新たな摩擦が生じていることです。
まず、グローバル化の進展により世界の相互依存は飛躍的に高まりました。人・モノ・金・情報が国境を超えて自由に行き交う現代では、一国の中だけで完結する問題は減少し、気候変動やパンデミック、公正な貿易ルールの形成など、どの国も無関係ではいられない地球規模課題が増えています。こうした状況は、デュルケームの言う有機的連帯が国家間・世界規模にまで拡大しつつあるとも解釈できます。事実、世界経済は一つの大きな分業体制のようになっており、ある国の工場で作られた部品が別の国で組み立てられてグローバル製品が生産される、といった具合に各国経済は互いに組み込まれています。このような経済的相互依存は、平時には各国に繁栄をもたらす反面、一旦サプライチェーンが途絶えると世界的に影響が波及するなど脆弱性も抱えます。グローバル化した社会では、人々は自分が顔も知らない遠方の他者(例えば海外の労働者や生産者)に日々支えられて生活していると言っても過言ではなく、連帯のネットワークは地球規模に及んでいるのです。これは見方を変えれば、有機的連帯の原理(分業による相互依存)が国境を超えて適用されている状態ともいえます (Extending Durkheim To Accommodate A Globalized World - CollabAnthNetwork)。
さらに文化や情報のグローバルな流通も、人々に新たな共感や連帯を生む契機となっています。インターネットや衛星放送を通じて、世界各地の出来事がリアルタイムで共有される時代となりました。遠く離れた国で起きた災害に対して世界中から支援の手が差し伸べられたり、ある国の民主化運動に他国の市民が連帯の意志を示すといった現象も見られます。例えば、2019年のグローバル気候マーチでは世界中で何百万人もの若者が同時にデモ行進を行い、気候変動対策を求める声を上げました (Climate protests to call for an end to the use of fossil fuels)。また2020年前後の新型コロナウイルスのパンデミック時には、ワクチンの公平分配や知見の共有をめぐり「人類が協力して危機に立ち向かう」必要性が強調され、科学者同士の国際連帯や医療物資の融通なども行われました。このように、人類規模での課題に直面することで芽生える「国境を超えた連帯」は、グローバル化時代における新しい希望と言えるでしょう。それは国家や民族の違いを超えて、人間であるという共通基盤にもとづく連帯意識(いわば「地球市民意識」)へと通じる可能性を秘めています。
しかし一方で、グローバル化は社会的連帯に複雑な課題ももたらしています。まず、地球規模で相互依存が進んだとはいえ、明確な「世界政府」や強固なグローバルな規範が存在しないため、各国・各地域間で利害や価値観の衝突が絶えない現実があります。経済的な分業が進んでも、それを統制し調整する仕組みが不十分であればデュルケームの言うアノミーが国際関係にも当てはまるでしょう。事実、グローバル経済は富の偏在を生み、一部の多国籍企業や先進国が巨大な利益を得る一方、発展途上国や社会的弱者には恩恵が及ばないどころか搾取が続くという構造的問題があります。グローバルな有機的連帯が深化すればするほど、文化の均質化や地域固有の伝統の喪失が懸念されるとの指摘もあります (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。世界中で同じような製品・サービスが消費されることで多様な文化が画一化し、またグローバル市場で競争に勝てないローカルな生産者が淘汰され、地域コミュニティが衰退するという現象も見られます (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。さらに、グローバル化による競争激化は各国内部でも経済格差を広げ、社会の分断を招いています (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。こうした不満はしばしば移民排斥や自国第一主義(ナショナリズム)の台頭といった形で表出し、国際協調ではなく自国・自集団の結束を優先する動きにつながります。昨今各国で見られるポピュリズム的政治潮流や、欧州連合からの離脱(ブレグジット)に代表される反グローバル化の動きは、まさにグローバルな相互依存への反発としてのローカルな連帯志向と言えるかもしれません。
また文化的側面でも、グローバル化は多様な価値観の接触と摩擦を生んでいます。通信技術の発達で世界中の人々が互いの文化に触れる機会が増えましたが、それによって生じる理解と誤解の両面があります。異文化間対話が進めば寛容と共感の精神が育まれる可能性がある一方、アイデンティティの衝突から排外的ナショナリズムや原理主義的な動きが勢いを増す危険もあります。デュルケーム流に言えば、集合意識の多元化が起きている状態であり、人類共通の価値を見いだすことがグローバル時代の課題となっているのです。
総合すると、グローバル化は社会的連帯を国家の枠組みを超えて拡張する潜在力を持ちながらも、それを実現するための制度や意識が追いつかずに混乱(アノミー)や反動を引き起こしていると言えます。これに対処するには、地球規模での新たな連帯の枠組みを模索する必要があります。具体的には、国際機関や条約を通じた連帯(例えばパリ協定に見られるような気候変動対策での協調)や、グローバル市民社会(NGOや国境を超えた市民運動)のネットワーク強化などが考えられます。世界人権宣言のような普遍的価値の共有も、人類の連帯を支える集合意識として重要でしょう。デュルケームが有機的連帯を語った当時には想定し得なかったスケールで、今や我々は「人類」というコミュニティを意識する時代に入っています。グローバル化はそれ自体が不可逆的な現実である以上、それに見合った連帯の倫理と制度を構築していくことが21世紀の課題であり、希望でもあるのです。
6. 現代における新しい社会的連帯の形とは何か?
以上見てきたように、現代社会では個人主義の浸透、デジタル化、労働環境の変化、グローバル化といった諸要因が重なり合い、社会的連帯の在り方が大きく変容しています。では、これらを踏まえて現代における新しい社会的連帯の形とは一体どのようなものなのでしょうか。
デュルケームが理論化した機械的連帯と有機的連帯の二分法は、21世紀の複雑な社会において依然として有用な分析枠組みですが、現代の連帯はその二つが重層的に絡み合った形で現れていると考えられます。つまり、現代社会の連帯は一枚岩ではなく、多様なレベル・様相を帯びています。
第一に指摘できるのは、「価値や関心の共有」に基づく新たな連帯です。これはデュルケームの機械的連帯に類似した側面で、国籍や所属組織を超えて、共通の価値観・目的意識を持つ人々がゆるやかにつながる連帯の形です。環境保護、人権擁護、ジェンダー平等、あるいは特定の趣味嗜好など、分野ごとに「コミュニティ」が形成され、オンライン・オフライン両面で相互交流が行われています。たとえば、フェミニズム運動に共感する世界中の人々がSNSを通じて連帯しMeToo運動を広げたり、オープンソース・ソフトウェアの開発コミュニティで世界のプログラマーが協働したりといった具合です。これらの共同体では、参加者たちの間に強い同志的結びつき(機械的連帯的な情緒的一体感)が芽生えることがあります。興味深いのは、かつては地理的・血縁的に近接した者同士でしか育まれにくかったこの種の連帯が、現代ではデジタル技術によって空間を超えて実現している点です。言い換えれば、「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソンの言葉を借りれば)が無数にネット上に樹立され、それらが現実世界の行動にも影響を与える時代となりました。こうした価値・関心共同体は、その流動性ゆえに持続性に課題を抱える場合もありますが、従来の国家や地域を単位とした連帯を補完し、新しい社会運動や文化創出の源泉となっています。
第二に、「相互依存と補完性」に基づく連帯の再構築が進んでいます。これは有機的連帯に通じる側面ですが、グローバル化と情報化により従来見えにくかった人と人の依存関係が意識化され、新たな制度や仕組みとして組み直されている現象です。例えば、シェアリングエコノミーにおける相互扶助的サービス(カーシェアや民泊など)は、経済原理に基づきつつも人々の間に新たな信頼関係を築こうとする試みです。また、国際協調の場面では気候変動や人権など普遍的課題について各国の市民社会組織がネットワークを作り、情報共有や共同声明、連帯行動を取っています。労働の場でも、前述したようにフリーランス同士の組合づくりや、企業内でのチームビルディングの工夫など、分業化・個人化した労働を再び統合する動きがあります。要するに、現代の有機的連帯は単に市場の見えざる手に委ねられているのではなく、意識的・制度的な連帯の構築へと向かいつつあるのです。それは一種の「再有機化」あるいは「連帯の意図的デザイン」とでも呼べる潮流で、利害関係者同士が話し合いやルール作りを通じて公平な相互依存関係を築こうとするものです。デュルケームが有機的連帯の中核と位置付けた職業倫理や職業集団(コーポラティズム的な中間団体)は、形を変えながら現代にも求められており、実際NPOや専門職団体、市民協議会など様々な形でその役割を果たす組織が活発化しています。
第三に、個人主義と連帯の新たな統合が模索されています。前節までにも述べたように、「connected individualism(連帯的個人主義)」という理念はその一つの例です (How individualism transformed Western societies)。現代の新しい連帯の形は、決して個人を集団に埋没させるものではなく、各人の自律性や多様性を前提とした上での連帯です。一人ひとりが異なる価値観・アイデンティティを持つことを認め合い、その多様性自体を尊重しながら共通の目標に向かって協働する――そのような連帯が志向されています。これは過去の共同体のように全員が同じ信念を盲目的に共有するタイプの一体感(機械的連帯)とは異なり、多様性の中で重なり合う部分を見出して作り上げる合意のネットワークと言えるでしょう。たとえば、国際的な気候変動運動には宗教も文化も異なる人々が参加していますが、それぞれの立場の違いを認めつつ「地球を守る」という一点で連帯しています。また企業のダイバーシティ推進なども、異なる背景を持つ人々がお互いの違いを尊重しながらチームとして協働する新たな連帯の試みです。このような連帯には高い対話能力と寛容さが求められますが、現代社会の成熟度が試される部分でもあります。
デュルケームが「道徳的個人主義」によって近代社会の連帯を維持できると期待したように、現代でも個人の尊厳を共通の価値基盤とする連帯が目指されています (Pros and Cons of Organic Solidarity | Sociology Plus)。人権尊重や民主主義といった普遍的価値を共有することが、異質な個人同士を結びつける接着剤になるという考え方です。事実、人権侵害や差別に反対する社会運動では、「すべての個人は平等に尊重されるべきだ」という理念が参加者の連帯感を生み出しています。これはデュルケームの予見した「人格の崇拝」に他なりません。一見パラドクスですが、個人主義的な価値観(個人の尊重)が社会に広く浸透することが、逆に社会全体の統合原理(連帯の基盤)となりうるのです。
最後に、新しい社会的連帯の形は流動的かつ多層的である点を強調したいと思います。現代人はかつてのように一つの集団(村や会社など)に終身帰属するのではなく、ライフステージや興味関心に応じて複数のコミュニティにまたがって生きる傾向があります。ある人は職場では同僚との連帯を感じつつ、オンラインでは趣味の仲間と繋がり、地域ではボランティア団体に参加し、国際的にはSNSを通じて地球規模の運動に共感する、といった具合に、一人の人間が複数の連帯ネットワークに属しています。このような状況では、連帯も一枚板ではなく状況に応じて様相を変えます。インターネット上のコミュニティは出入り自由で緩やかなつながりかもしれませんが、いざ災害となれば地域コミュニティでの助け合いが重要になる、といった風に、人々は多元的な連帯を使い分けています。重要なのは、それら多層の連帯がお互いに競合・衝突するのではなく、補完し合う形で機能することです。個人の幸福と社会全体の福祉を両立させるには、柔軟に連帯ネットワークを組み替えられるオープンな社会であることが望ましいでしょう。
結論:もしエミール・デュルケームが現代に生きて「社会的連帯の変容」について著述するとすれば、彼はおそらく以上のような点に着目したのではないでしょうか。すなわち、機械的連帯と有機的連帯という古典的概念を手がかりに、現代の個人主義の進展がもたらす弊害と可能性を分析し、デジタル時代・グローバル時代における新たな共同体の台頭を捉え、労働の変貌に対応した連帯の再編成を検討した上で、最終的には「多様性と個人の尊重を基盤とする新しい連帯」の姿を描いただろうと考えられます。それはデュルケームの言葉を借りれば「新たな連帯の道徳」を樹立する試みでもあります。現代社会における社会的連帯の形は一様ではなく、むしろ多元化していますが、人々がお互いへの依存関係を自覚し、共通の価値を見出し、協働していく限り、社会は引き続き統合を保ち進歩していくでしょう。デュルケームの理論的遺産はそのままでは現代の複雑性を捉えきれない部分もありますが、「何が人々を結束させ社会を維持するのか」という問いは普遍的です。本書の考察を通じて浮かび上がったのは、個人主義時代の新たな連帯は、個人の自由と社会の絆を統合するものであり、物理的距離や文化の壁を超えて人々が協力し合う柔軟なネットワークとして形作られているという姿でした。そしてその背景には、デュルケームが予見したように、一人ひとりの個人をかけがえのないものとみなす現代的な「連帯の道徳」が横たわっているのです。社会的連帯は形を変えながらもなお進化し続けており、デュルケームがもし現代を目にすれば、その変容ぶりに驚嘆しつつも、自らの理論の射程の広さを確信するのではないか――そんな思いをもって本書の結びとしたいと思います。