葵祭の亡霊になった日
葵祭のために有休をとっていたけれども路頭の儀は明日に順延。意味もなく3連休を取る形になり落ち込む。
とりあえず京都に行くことにはするも、社頭の儀をみるか、遠方へ行くか、喫茶店や鴨川でゆっくりするか、寺へ行くか、手づくり市へ行くか、家具や生活雑貨を見てまわるか、写真を撮るか歌や句をつくるか。したいことがありすぎてグーグルマップで行程を調べていたら、行きの電車でスマホの充電は残り半分になっていた。
まず京都徳力版画館へ行ってから、岡崎あたりのアンティークや雑貨屋さんを見てまわる行程にするも、やりたいことは捨てきれず頭はごちゃっとしていて、とりあえず赴くままに過ごすことにする。
京都徳力版画館は徳力富吉郎の作品や収集した版画がおさめられている美術館。事前予約が必要だけれども電話したところ一名ということもあり快く迎え入れてくださる。
3階は展示室で2階は絵葉書や雑貨などが販売されていて、どちらも私一人のために開けてくださり申し訳なくもありがたい。
徳力富吉郎の家は代々西本願寺の御用絵師で、富吉郎氏の代(12代)から木版画を始めた。13代は昔はこの館で仕事をされることもあったが、現在は花背で仕事をされている。ここは元自宅でもある。富吉郎の作品を手に取りやすい雑貨の形にしているのも13代のお仕事。版画は分業制で刷り師や彫師に分かれていて、団体の観覧者がきた際は刷り師が実演することもある。
と、館の職員さんがお話ししてくださった。
富吉郎の版画の魅力は、ありきたりな表現だけれどもかわいいところだと思う。シンプルな図案に宿る懐かしさ。
それからはアンティークや雑貨屋さんめぐり。
ふらふら寄り道しながら西冨屋へ。岡崎に移転してからははじめて。以前のお店はコロッケとお酒を嗜むというイメージだったけれども、しっかりめのランチメニューが用意されていた(ワインセラー?もあってかわらずお酒も充実していた)。
ハンバーガーランチはおしゃれかつきちんとお腹いっぱいになる感じでとてもよかった。席間もゆったりしていて落ち着ける。岡崎のランチ候補が一つ増える。
それからは夷川通で家具を見ようかと思っていたけれども、そういえば百万遍の手づくり市だったなと思い出して百万遍で下車。
久しぶりに行ったけれど、あらためて見ると結構玉石混交という感じで、古物を売っているわけではないのに雰囲気が骨董市っぽい。そしてお客さんの半数ぐらいが海外からではという感じで驚く。ブルーパロットにも何組か海外のお客さんがいたし。コロナ禍以前もよくこんな場所・イベントを知っているな!というところに海外からのお客さんがいたものだけれど、いても数組というか、一人旅が多い印象だった。また一つ観光のシーンが進んだのかなあという印象を受ける。
まずお参りするかとお堂にあがると住職さんから突然白い手袋を渡され、なぜか法要に参加することになる。
数珠まわしをする。まわしているとぐるぐる焦っていた気持ちもだんだん無になってきて、目の前の珠しか見えなくなる。なんか祈った方がいいのかなあという気持ちになり、子どもの無事を祈る。
それは言葉のとおり、子どもに無事に過ごしていてほしいという気持ちからのものではあるけれども、自分自身に関する願いがもう特にないからというのもある。それからはいちばん偉そうな住職のお話を聞く。眠くなって目を閉じて聞いていて、失礼かなと思い目を開けると、住職の隣に座っていた若いお坊さんが半目で聞いていた。
1,000円のまな板を買って知恩寺を後にする。だいぶ疲れていたけれどほとんど意地で河原町丸太町あたりのアンティークと雑貨屋さんをまわる。
結局何も買わなかったけれども、ストックルームはまた大きな家具を買うときに行きたいなと思うぐらい良かった。最後は鴨川沿いを歩いて帰ろうと思ったけれども、その時間すらなくて市バスで四条へ戻る。
過ごせば過ごすほど、私は人の暮らしが知りたいのだと思う。焦りながら街を歩くんじゃなくて。人の営みが堆積して、かつそれが色濃く残されているこの街が好きなのだ。風雅だからではない。