『銃、病原菌、鉄』を読んで気づいた日本とヨーロッパの共通点

ジャレド・ダイヤモンドの名著『銃、病原菌、鉄』を読了したので感想を少し。著者は医学博士であり、進化生物学者でもある。そんな著者が「なぜ現代の世界ではヨーロッパ、ユーラシア大陸にルーツを持つ国がリードしているのか?」という疑問について考察する歴史科学の本である。

上記の直接的な要因は、ユーラシア大陸、ことにヨーロッパの人間は「銃、病原菌、鉄」を持っているからとしているが、究極的には「ユーラシア大陸が東西に長い地形であり、作物や家畜となる動物に恵まれていた」からであると結論づけている。

地形の違いにより情報、文化の伝播速度に違いがあり、東西に長い大陸では同緯度の場所なら同じような作物が育つことが出来る。そういった理由で人口が稠密となっていき、集権的な国家の誕生に至ったとしている。

下巻の最後のほうで、中国とヨーロッパを対比させていてる。つまるところ、なぜ中国は西暦1400年あたりまではヨーロッパよりも圧倒的にリードをしていたのに、なぜ近現代では抜かれてしまったのか、ということである。(もっとも近年の経済はその限りではない)

ジャレド・ダイヤモンドは、中国が統一国家であり続けたからであるとしている。たとえいかなる発明や優れた人物が存在していても、政治的に統一していると、たった一つの意思決定によって、優れた技術は失われてしまう可能性がある。宋代の鄭和の海洋大遠征は非常に優れた造船技術と航海術をもって行われたが、政治的な問題、たった一つの権力の決定で永久に失われた。

それに対して、大航海時代のヨーロッパではコロンブスが新大陸探検の出資者を募るために4つの国と君主に仕えている。それぞれで出資を要請した結果、ようやくスペイン王、王女に彼のプレゼンは刺さり、遠征資金を工面できることになった。ヨーロッパが統一されてなく、多数の国があるからこそ実現できたことだ。

さらにヨーロッパは多数の国が競合している状態だったため、あるアイデアや技術が複数の国で捨てられたたとしても、どこか一つの国で採用されてその国が成功したとき、一度捨てた他の国が再度採用して真似をすることができた。そうすることで国同士が互いに高め合うことができたのだ。

ここからが本題で、僕はこの大航海時代のヨーロッパは幕末の日本と似ていると感じる。

そもそも日本とヨーロッパは地形が似ている。例えば、山岳、河川、複雑な海岸線など。スケールが違うし、そもそも日本は島国なのでそこは違うとしても、この地理的な特徴は国を政治的に統一しにくくしている。

『銃、病原菌、鉄』でも触れているが、地理は平坦で行き来しやす過ぎると中国のように広く強い集権国家で統一されてしまうし、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸のように険しい自然や砂漠で隔てられていても文化が伝播しない。ヨーロッパはちょうど良いという。日本もまさにそうだ。

日本は江戸幕府により長く統一されていたが、それは中国のような統一国家ではない。幕藩体制で藩、つまり国の集まりとして成り立っていた。幕末ともなると幕府の力は衰え、力のある藩は財を蓄えていた。これらは日本列島の地理的な要因であると思われる。すなわち日本の類稀なる山岳地形と四面環海ならではであろう。

この独立した藩ごとの政治機構と意思決定があったからこそ、日本は幕末のペリー来航に始まる欧米列強の脅威に対して幕府の一存だけでなく、藩ごとの強い反発、考えが国を動かすことになった。薩摩と長州はその代表であり、ともに日本人でありながらも、幕府という中央政府に盾をつけるほどの財力と人材を備えていた。

人材の話を少しすると、果たしてこういう人材は日本だから生まれたのだろうか?日本人は特別なのか?という話になる。『銃、病原菌、鉄』では優れた発明家のような人物は大陸ごとに、地域ごとに誕生する差があるのかどうかということに触れている。結論は、特に差はなく、単純に人口が稠密な場所ではそのような発明家が生まれる確率が高いというだけである。

その点、日本は恵まれていた。まず日本は類稀な農業に適した国である。豊富な水、四季、土壌、日照時間が米の大量生産を可能にし、人口は相当なものであることは言うまでもない。江戸時代からこの人口を支えてきたのはは農業のお陰であると言っても過言ではない。人口が多いが故に多様な考えの人間が生まれやすかっただけだ。

この農業に恵まれているというのもヨーロッパと同じである。江戸時代においてむしろ本州は、特に西日本はヨーロッパより農業に向いていただろう。

つまり、日本は中国や朝鮮半島と異なり、山々と海に隔てられた地形により、藩が分割統治する統治体制であったこと、農業に極めて適した土地で人口が稠密だったことにより、一つの意思決定で新しい文化の取り入れや改革を否定するという可能性が低かったことの二点において、欧米列強がアジアに進出したとき、いち早く舵をとって欧米化にシフトできたと言えよう。

それらを踏まえて今の日本を考えてみると、東京一極集中が過ぎ、政治的にも社会的にも多様性が無くなっているように思う。これでは一つの巨大な意思決定が他の選択肢を打ち消してしまうような状況もありうる。

情報化社会で場所という概念が希薄になっているにも関わらず、東京に人やカネが集まるところを見ると、やはり日本で地理的な問題は大きいのかもしれない。

昨今はリモートワークが盛んになったとはいえ、政府中枢や大企業は依然として本社を東京に置きたがるし、人々も東京で活躍したがる。東京じゃなくても仕事が出来るということが分かったと同時に、東京集中の流れはなかなか変わらないということも分かってきた。

これには様々な規制緩和であったり、それに伴う企業の介入により、地方のポテンシャルが最大限に伸びないとパラダイムシフトは起きないかもしれない。しかしこの超少子高齢化社会が進行するなかで、いつか必ず起きるだろう。歴史的に見ても、日本再生の鍵は地方にある。

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