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新聞を読んで、元を取る

新聞を読むのは欠かさない。会社を辞した今も、なのだ。家では一般紙を購読し、朝散歩がてらに経済新聞をコンビニで買う。これまで関わった業界には興味はあるが、記事があったとしても、自分が何かが出来るわけではない。株価が上がるといわれても、新たな投資をする気はない。それでも毎日、新聞に目を通す。

新聞を読むのは損をしないためか。コメが不足しているといっても備蓄に走ることはない。スーパーマーケットにコメがなくなった理由をいろいろ聞いても、ないものはない。家にコメの備蓄がなくなれば、うどん県の人を見習ってうどんにすればよい。それでも毎日、目を通す。

新聞を読むのは新しい人に出会う機会が減ったからか。身近な、些細でも具体的な、おもしろい情報が入りにくくなった。それを新聞で補うのは無理があるのはわかっている。それでも毎日、目を通す。

新聞を読むのは世間と離れたくないからか。それだったら紙の新聞でなくてもよいはず。テレビでもウェブでも情報は得られる。それでも毎日、目を通す。

新聞を読むのは紙に印刷されているからか。記事をスクラップするのに紙を切り貼りできる。でもウエブのコピペの方がより簡単だし、あとで検索もできる。それでも毎日、目を通す。

なぜ新聞を毎日読むのだろうか。

200円払って経済新聞を買い、月に4500円も出して一般紙を購読する。新聞を読んで大した興味を覚えなければそのまま捨てることになる。そんなもったいないこと。

ひとつでもいいから目当ての記事を拾おうと読む。

その記事が身近な出来事やふだん思っていることと結びつけられそうだと発見した時は元を取ったと安堵する。「元」はnote書きのネタなのだ。
明日も、新聞に目を通す。

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