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国語授業嫌い

国語、つまり日本語の学習に関する学科は小学校から中学校、それに高校になっても続く。必須だから避けて通れない。国語が嫌いだった。国語は他の学科と違って、嫌だったことしか思い出せない。

「雨の日、傘をさした○○ちゃんの顔が赤くなったのはなぜか」

恥ずかしかったから?と答えを書いたら、『赤い傘をさしていたから』というのが正解だった。小学生のころだったと思う。「恥ずかしかった」のはどうして間違いなのか、今でもわからない。国語嫌いになった初期のこと。

「この文を読んで、作者の意図を述べよ」
「主人公は、なぜそのような行動をとったのか。心のゆらぎを30字以内で書け」

この手の問題は山ほどあったけれど、答えを比べてみて、なぜそれが正解なのかはいつも疑問に思っていた。そう、問題を作った人が考えた答えが正解なのだから、ギャップはいつも存在する。

日経新聞のコラムに痛快な引用があった。

野坂昭如さんの娘さんが、教科書に載っている『火垂るの墓』について「作品を書いた時の作者の心境を記せ」という宿題に対し、その正答を本人に聞いたのだそうだ。「締め切りに追われて、後先の考えなく、ワーッと書いた」と野坂さんは答えたらしい。

これでは〇はもらえまい。でも本人が言うのだから間違いないだろうに。国語の先生は、どう点数をつけるのだろうか。

わたしの国語授業嫌いはずっと続いてた。

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