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「まあ、飲め」

左腕から繰り出す山なりの緩い球。掲示板には80km/h台の数字が表示される。そうかと思えば、ときに120km/h台のストレートが来る。緩いカーブを上からたたきつける、頭ではわかっているつもりでも、待ちきれずに引っ張って凡打が続いた。

夏の甲子園、霞ヶ浦高校の2年生投手・市村才樹君は、じらせる「遅球」で打率5割以上がならぶ智辯和歌山打線を7回までゼロ行進させた。手玉にとるとはこのことだった。

ネット裏の前方席が運よく手に入った。ところが、ここには銀傘がかからない。強い日差しの中、ビールを飲みながら市村投手を見ているうちにタイムスリップした。

中学校3年生、今年の野球部は勝って県大会に進めると監督から期待もされ、本人たちもそのつもりだった。なにせ、くじ運がよかった。1回戦は隣町の弱小チーム。2回戦は練習試合では負けたことがないチームで、郡大会から県大会への道が開けていた。

初戦、山なりの緩い球をなげるピッチャーだった。ときどきカーブを混ぜてストライクを取りにくる。試合前のピッチングをみて「いつでも打てる」と皆が思った。

ところが、バットを振って当たってもヒットにならない。遅い球を待ちきれず、カーブに泳がされての凡打がつづき、7回が終わってしまった。エラーで1点取られたのがそのままだった。

試合が終わっても、負けた悔しさと打てないストレスが居続けた。夕方学校に帰って職員室に集合した。監督の先生も同じだったのだろう。冷蔵庫からビールが出てきた。

「まあ、飲め」

50年以上も前のことである。


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