ぼんくらTVウォッチャー。
この肩書は元々、私の友人が思いついたもの。本人に了承を得ないまま使用している。
この肩書、自分では結構気に入っている。
TVウォッチャーというには、あまりにも番組を見ていない。タダのテレビ好きというには、見てきたテレビの分量が多すぎる。語りたいことも多いが、上から目線で話せるほど碌な生き方はしていない。
というわけで、この肩書が程よいのだ。自分への言い訳でしか無いことは、百も承知である。
テレビとの付き合いは、言葉通り赤子の頃からである。父方の祖母によれば、テレビに故・逸見政孝さんが映るたびに、画面へと近づいていったそうだ。いったい彼の人の何が、私の心に響いたのだろうか。
きっとそれは、今も私の中に宿る、司会者という職業に対する憧れの火種なのだろう。
小学生の頃になると、それこそテレビにかじりついていた。秋田には民放が3局(幼少時は2局!)と、決して恵まれた環境とは言い難かった。今でも、秋田にTBS系列の放送局は存在しない。水戸黄門は日曜夜10時半に観るもので、世界ふしぎ発見!は、土曜の昼12時に観るものである。子供ながらに「今夜のふしぎの舞台は…」というナレーションに、違和感を覚えたものだ。
テレビ東京系列も存在しなかった。といってもこれは「あー、うちもなかったなあ…」と、共感される向きが多いかもしれない。「クイズ赤恥青恥」がローカルセールス枠で放送されていたおかげで、私は古舘伊知郎という稀有な存在を強く認識することが出来た。私にとって古舘伊知郎は、SASUKEでも、プロレス実況でもなく、飄々としたクイズ番組の司会者として認識されていた。
中学生になると、TBSのある地域に引っ越すことになった私を出迎えてくれたのは「オールスター感謝祭」と「関口宏の東京フレンドパーク2」、それに「王様のブランチ」である。慣れ親しんだ人には当たり前な、しかし私にとっては未体験な、まったく新しいタイプのテレビ番組は、ただただ衝撃であった。
時を同じくして、時代はインターネット全盛期へ突入していく。誤解を恐れずに言えば、テレビを利用しなくても、大量の情報を得ることが出来、多くの人と繋がる幻想を手にすることが出来る時代。
そんな時代の中核にありながらも、私がテレビから離れることはなかった。
テレビとインターネットの程よい付き合い方を、手探りながらも知っていった時代。
四六時中テレビと付き合っていた。テレビを全力で楽しんでいた。そんな自分だからこそ、今の「つまらなくなった」テレビを、今でも楽しめているのかもしれないなあと思う。
noteの使い方がよくわかっていなかったけれど、こういう話をしていこう。自分が思う「面白いテレビ」や、「テレビとの付き合い方」について。故・ナンシー関さんのように、程よい距離感を保てているかはわからないけど、テレビって面白いんだなって思えるような文章が書ければ、嬉しい。
そういえば、最初に話していた友人だが、この肩書を使い出したことを、後から報告した。彼は苦笑していた。「おめー、それを表に出すなよ」と。
出してしまったものがしょうがない。もうしばらく、お付き合い願おう。