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株式会社サンエスの東京支店を率いる“熱きリーダー”:角野一樹様インタビュー

株式会社サンエスの角野一樹さんは、今年で入社13年目を迎えます。現在、東京支店の責任者として全力を尽くしています。
学生時代はラグビーに打ち込み、就職氷河期や留年といった困難にも直面しました。
自分に向いている仕事を模索しながら、父が経営する株式会社サンエスに入社を決意。
さまざまな困難を乗り越え、今できることを一つ一つ積み上げてきました。
一樹さんの熱いストーリーを、ぜひ最後までご覧ください!

ラグビー一筋!大学留年中に悩んだ「向いている仕事」とは

ーこれまでのご経歴について教えてください。

私は、社歴はここ株式会社サンエスしか経験してないんです。
ずっと学生の時からラグビー一筋で、それまでの成果があったので、大学にはスポーツ推薦で入学しました。
大学入学後ももちろん、ラグビー一筋。だから学業は全然…(笑)
いざ卒業ってなったら、単位が足りなくて卒業できなかったんですよ。

当時の私はあまり深く考えていなかったので、大学を卒業することに魅力を感じず、結局アルバイトしつつ勉強はしていませんでした。
フラフラしている私を見かねて、父の角野社長から、「うちの現場に出て仕事してみたら」と言われたのがきっかけで株式会社サンエスに入社しました。

ーお父様に声をかけられたとき、どんな想いでしたか?

アルバイトしながらフラフラしつつも、自分はどんな仕事が合うのだろう?ってすごく考えていたんです。
でも、実際に動いて働いてみないとわからないとも感じていました。
だから、父親に声を掛けられたときは、「まずは、やってみるか」という気持ちから始めました。

ただ、建設業界自体が、3K(きつい・汚い・危険)のイメージが強かったので、大学まで行かせてもらって、工事屋さんになるのはどうなんだろう…ってちょっと考えてしまったこともありました。

入社後に気付いた「好きだったこと」と「周囲の反応」

ー実際に入社されてどうでしたか?

実際に入社してみると、意外と楽しかったんですよ。
小さいころから図工が好きだったので、気づけば作業に没頭していることもしばしば。

とはいえ、最初の頃は右も左もわからず、周囲も「社長の息子」だと知っていたので、いろいろな反応がありました。ある取引先の人には、

「社長の息子なのに何も知らないな」
「ドラ息子」

などと言われたこともありました。
私は笑って「ボンボンですねん(笑)」と返していましたが、内心では「いつか見返してやる」と思っていましたね。
ラグビー時代の先輩たちからは「どうせやるならそこで一番になれ!」と鼓舞してくれたので、すごくありがたかったです。

そんな時、自分が一番変わらなくては、と思ったきっかけになった、ある事件があるんです。

「もっと頑張りたい」自分が変わるきっかけになったある事件とは

入社して半年ほど経った頃、大きな事故を起こしてしまい、指を大けがしました。
この事故は労災事故となり、会社に多大な迷惑をかけてしまったのです。

「自分はまだ仕事もできないのに、会社に迷惑をかけて何をしているんだろう…」

本当に悔しくてたまりませんでした。

「もっともっと頑張って、会社に必要とされる人になりたい」

フォローしてくれた会社の人たちに恩返ししなければならないという強い思いもありました。
だから、指の治療中は、CADを覚えたり、管理の仕事で自分ができることをひたすら見つけてがむしゃらに働きました。

仕事を終えるのに夜中の2~3時までかかっていたのが、だんだんと要領を掴めるようになり、夜10時には帰れるようになったとき、

「あ、仕事って面白い!!」と感じるようになりました。

今もそのがむしゃらな姿勢は変わらないですが、本当にあっという間の13年間でしたね。

最後に

一樹さんのインタビューを通じて、彼の情熱と成長の過程が鮮明に伝わってきました。
困難な状況に直面しながらも、常に前向きに努力を続け、自らの力で道を切り開いてきた姿勢には、誰もが心を動かされることでしょう。
入社当初の不安や挫折を乗り越え、会社にとって欠かせない存在となった一樹さんは、株式会社サンエスの未来を明るく照らすリーダーの一面が垣間見えます。
今後のさらなる活躍が楽しみですね!

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