「嫌われ監察官 音無一六」第5話レビュー:厘太郎の甘さと甘え
周りを気にして何が悪いのか、と珍しくみつるで激昂する厘太郎。
第5話、殺人に手を染めた息子の将来を案じ、また自分の立場も守ろうとした村田は周囲の目を気にした結果、川上にすべての罪を擦り付けようとしたのだが…。
一六に処分を再考してほしいと訴える同期の安田と、再度の検討を口添えしようとする厘太郎を、一六は「甘い」と切り捨てた。
監察官が処分した警察官、そして彼らに関わった者たちから向けられる恨み。厘太郎はそれらに必要以上に怯えている。
安田のように顔が見える憤りはもちろん、警察に批判的な内容の配信を行う川上の動画に集まるコメントのような匿名の悪意ですら。
自分が副総監の息子だからという理由による嫉妬、七光りという軽蔑といったものに晒されて来た厘太郎は、常に見えない敵意を向けられて来た。
それでも警察官になりたかった理由があったはずなのに、彼は一体今さら何から自分を守ろうとしているのだろう。
厘太郎は一六も認める通り、警察官に必要な覚悟をちゃんと持っている。第1話では拳銃を持つ岩淵から市民を守ろうとしたし、今回も凶器を持った松野を取り押さえに行っている。自分が危険な状況に直面していても、市民の盾になるために躊躇せず動ける。それが厘太郎の警察官としての強みだ。
逆に人の心情を考えると臆病になって、誰かを傷付け、嫌われることを恐れてしまう。けれど自分が傷付けた、嫌われたと思う判断自体、それが正しかったのかなんてわからないのだ。
厘太郎は、監察処分を受けた川上が一六への恨みから警察に批判的な配信をしていると思っているが、おそらく逆だ。川上は市民を救えなかった辛さを抱えたまま警察官ではいられなかっただろうし、かといって自分から警察官を辞めることもできなかっただろう。一六の処分によって警察官という責任の重圧から解放されたという気持ちの方が強かったのではないか。
優秀な刑事だったからとか、刑事になるために人一倍頑張っていたからとか、個人的な心情による判断にはブレが生じる。酌量を行ったことによって結果的に上手く行けばいいが、そうでなかった時の責任を監察官は負うことができない。規定に基づいて処分を下すことが、監察官として最善で唯一の道なのだと思う。
目の前の厳しい処分を未来へのツケにして回避しようとする厘太郎の上司には一六や千住がいて、最終的に自分が責任を取ることはない。その判断はやはり、「甘い」。
明らかに間違っている厘太郎を千住が厳しく問い詰めたりしないのは、その姿に過去の自分を重ねているからかもしれない。
「法により強い権力を与えられた警察官だからこそ、仮に過ちを起こせば一般市民よりも厳しく罰せられなければならない」
監察官としての自分の仕事に迷いを感じていたかつての千住の背中を押したのは箕田の言葉だった。
迷いの真っただ中にいる厘太郎を救う言葉は、この先にあるだろうか。
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