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子育てには「創意工夫」と「時を待つ心」を
泳げないからスイミング教室に通う。
英語ができないから英語の勉強をする。
人見知りだから、あえて人と交流できる場所に行く。
問題解決のために関連することをしたり、逆のことをしてみたりと、何かしらをすることがあると思いますが、子どもの問題については、え?そんな方法で解決できるの?ということがたくさんあります。
また、すぐに解決できなくても、時間の経過とともに解決していくこともあるのです。
子育ては実験の連続
子育てをしていると、育児書には載っていない我が子だけの解決方法というものがあることに気が付きます。
もちろん、先輩ママやママ友・子育て広場のスタッフなど、いろいろな人の経験談を参考にして解決できることもありますが、それでもうまくいかない時があるのです。
時には、問題そのものに目を向けるのではなく、違った角度からアプローチをした方が簡単に解決することがあります。
ママたちから聞いた解決方法の一部を紹介
離乳食を食べてくれない
椅子に座った時、床等にしっかりと足の裏を付けられるようにし、足がブラブラする状態ではなくなったら食べるようになった。
野菜を食べない
野菜を栽培し、一緒に収穫したり料理をしたら食べるようになった。
夜泣きがひどく、何をしても泣き止まない
抱っこしながらバランスボールに座って上下に動いたら、すぐに泣き止んで寝るようになった。
集中力が続かなくて、勉強に飽きてしまう
遊びの時間をしっかり取ったら、勉強に集中できるようになった。
反抗的な態度をとる
子どもがはまっているゲームを一緒にやるようになったらなくなった。
娘で試したエピソード
娘が生後6か月の時です。
ある日を境に、お風呂でギャン泣きをするようになったのです。
裸にして浴室に入るだけで泣き出すのです。
お風呂という狭い場所では耳が痛くなるほどの騒音で、換気扇から漏れる泣き声に虐待を疑われるのではないかとヒヤヒヤし、大きなストレスとなりました。
もっと話しかけたり、歌って楽しい雰囲気にしてみよう。
おもちゃを新しくしてみよう。
お湯の温度かな、それとも身体の洗い方かな。
いろいろと試しましたが、まったく改善しないまま5日ほど過ぎました。
最後に思いついたのが、お風呂の時間を変えることでした。
まだ明るいうちに入ってみたのですが全く泣かないのです。
やった!私の実験がようやく成功した!!
そう思い、とても嬉しかったのを覚えています。
次の日から前の時間帯に戻してみましたが、もう泣くことはなかったので、原因は謎です。
でも、そういう謎が子育てをしているとたくさんあります。
子育てで問題解決能力が高まる
原因は謎だけれど解決しなければならないなんて、親は研究者のようです。
だからこそ、いかに創意工夫できるかがカギになります。
大変ですが、試行錯誤を繰り返して成功した時には、どこかの学会で発表したいくらいの達成感があります。
学校教育では、子どもたちの問題解決能力について目が向けられるようになりましたが、親こそ、子育てを通して鍛えられる能力であり、ひいては仕事にも役立つ能力となるのではないかなと思います。
その時を信じて待つ気持ちの余裕が大切
いつか来るその時のために必要な準備がある
たまに乳児のママから、こんな声を聞きます。
「まだ言葉を理解していないのに、読み聞かせをする意味ありますか?」
「まだハイハイもできず横になっているだけなのに、遊び場に連れて行く意味ありますか?」
確かに、そう思いますよね。
でも、
×何もできない=何もしなくてもよい期間
○何もできない=できる時が来るまでの準備期間
なのです。
準備期間に外部からたくさんの刺激を受け、少しずつ蓄積された刺激が徐々に形になり、その子のタイミングで表に出てきます。
そのため、子どもの成長に見通しを持ちながら、子どもの今に向き合うことが大切なのではないかなと思います。
そして、乳児の頃だけじゃなく、人間が生きていく上で準備期間というものを常に意識することは大切ではないかと思っています。
大人になっても何かしらの目標を決め、準備期間を設けて取り組めば、成長できることがたくさんあるからです。
時間が解決してくれることがある
時には、創意工夫で試行錯誤をしても解決できない問題があります。
特に、親を困らせる行動が出てきたときには、話を聞かなくなったり、反抗したりと、親の思いが伝わらないと感じることもあります。
それでも、子どものことを思って伝えた言葉は子どもの心の片隅に残っているはずです。
あの時に言われたことは、こういうことだったのかと子ども自身が気づく日がいつか来ると信じて、気長にその時を待つ気持ちの余裕が欲しいですね。
息子の「その時」エピソード
成人の日近くに、息子の字で息子宛てに一通の封筒が届きました。
卒業した中学校名の付いた封筒です。
地方の大学にいる息子に許可を貰い開封してみました。
(この時点で、息子は何が届いたのか見当がつきません。)
封筒には、中学の卒業式のクラス写真と担任の先生からのメッセージカード、便箋2枚が入っていました。
きっと、息子が二十歳の自分に宛てて書いた手紙だろうと思いました。
(この時点で、息子は何を書いたのか全く覚えていません。)
折りたたまれた便箋をワクワクしながら広げます。
・・・・・・・
目が点になるって、こういうことなんですね。
へたくそなピカチューとアンパンマンが描かれていただけだったのです。
(どうせなら、上手に描けよと思いました。)
写真で息子に送ると、「酷いな。とんでもないな。」という返事がきました。
二十歳になり、5年前の自分に呆れる時が来たのです。
くだらない絵をわざわざ郵送してくれた先生に対する恥ずかしさも感じたのではないかなと思います。
そんな出来事も、時を経て息子を成長させてくれたように思い、先生には感謝です。
「時を待つ心」
春に花を咲かせるために準備をしている桜。
人間も自然の中の一部。
自然の中から学ぶこと、たくさんありますね。