親の「子どもを信じる」が重すぎるかもしれない問題
「信じる」をネット検索してみると、いろいろな意味が出てきますが、「相手の言葉や人柄に偽りがないものと思う。信用する。信頼する。」という意味が一般的ではないでしょうか。
そんな一般的な意味を持った「信じる」を子どもにも当てはめていた私は、子どもが初めて約束を破ったときに、かなりのショックを受けました。
嘘をつき、ごまかしていたのもあって、信じていたのに裏切られたと悲しくなりました。
約束を破ることや嘘がいけないことは教えていたし、私には嘘やごまかしをしないだろうと思っていたので、ショックが大きかったのです。
約束を破って平然としているなんて。
しかも、ばれないよう悪知恵まで働かせるなんて。
私が無理な約束をさせたのかな。
私が嘘をつかなければならない状態に追い込んだのかな。
私の関わり方が悪くて、ごまかすことを覚えてしまったのかな。
ショックの後には、親として何が悪かったのかと自分を責める気持ちにもなりました。
でも、冷静に考えてみたら、成長の証なのだと思えるようになりました。
最初は、嘘が何かを知らず、嘘のつき方も分からない赤ちゃんでした。
成長するにつれ、たまに嘘をつくことがあったけれど、表情や行動から簡単に見抜けるので、怒りよりも、むしろ可愛く感じていました。
そこから、嘘がバレるまでの時間を延ばしてきたのは、また成長したという証です。
私に対して嘘をついたり、ごまかしたことが悲しかっただけで、誰でも嘘はつくし、ごまかしもするし、社会で生き抜くためには時として必要な力でもあるよね、と自分なりに納得をしました。
しかし、だからと言って、その成長が喜ぶべきことでもないのが難しいところなのです。
そういった問題がこれから先も増えていくのだろうと予感もしていました。
前にも書きましたが、反抗期には、子どもの頭の中の考えがどんどん変わるので、言っていることの何が本当なのか分からなくなってくるのです。
感情的になって発した言葉も多く、自分の言ったことを忘れていたりします。
一緒に考えて、お互いが納得して決めた約束も平気で破り、それに対して指摘しようものなら、自分を棚に上げて反撃してきます。
そうなると、子どものことを信じたくても、何を信じたらいいのか分からなくなったりするのです。
私がそういう気持ちを持ったまま関わるので、それが子どもに伝わり、親子バトルの悪循環。
そんなことが数回ありました。
そのうちに、「信じる」ってなんだろうと改めて考えるようになりました。
私を信じてくれる人がいたとして、その人から「信じているよ」と言われる場面を想像してみました。
そうやって言い訳をしている自分を思い浮かべました。
大人の私だって、反抗期じゃなくても考えが急に変わることがあるのです。
そもそも、永遠不変ではない事・物・人などに「信じる」を使うこと自体が間違っているのかもしれないとさえ思えてきました。
おまけに、「信じる」という言葉が、冒頭の意味の他に、相手からの期待もプラスされた重い言葉だと気づかされました。
勝手に信じてくれて、その上、勝手に期待されるなんて、たまったもんじゃない。
てことは、親が「子どもを信じる」ことだって、子どもにとっては負担なのかもしれない。
でも、育児書には、「子どもを信じる」ことは大事だと書いてある。
それなら、子どもに対して、どんな「信じる」ならばいいのだろう。
そう思った私は、自分なりの「信じる」を考えてみました。
「(勝手な期待をせずに)信じる」
「(人は日々変わるものだから、とりあえず、今は今のあなたを)信じる」
そういうスタンスでいようと決めたら、約束を破っても、じゃあ、どういった約束なら守れるの?と、私の期待を抜きにして冷静に話せるようになりました。
言ったことと違うことをしても、今のあなたはそうなのね、と思えるようになりました。
簡単に「信じているよ」と、口にすることもなくなりました。
だからと言って、事がうまく運ぶわけではありません。
反抗期特有の親への挑発がありましたし、息子は論破せずにはいられないので、そこに屈しない冷静さと忍耐力が必要でした。
私の考え方が変わって気持ちが楽になっただけで、相変わらず、約束は破るし嘘はつくのです。
それでも、親として子どもをどう信じるのか、考えてみることは大切なのではないかなと思います。
自分なりの考えを持っておくと、親も子も変な負担を背負わなくて済むように思うからです。
子どものありのままを受け入れると言っても、そのありのままが日々変わっていきます。
約束を破り、嘘をつき、親にとって好ましくない行動をすることもあります。
それが、親の想像を超えてくることがあるのです。
そんなとき、子どもをどう信じて関わりますか?
「子どもを信じる」って、とても大切なことですが、そこに真剣に向き合うほど、子どもを辛くさせてしまうかもしれないと心に止めておいた方がよさそうな気がします。
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私がその当時に信じていた、子どもたちの言葉の一部を紹介します。
娘の場合
「この家から一生出ていかないよ。ママとずっと暮らすからね。結婚はお見合いがいいな。ママが選んだ人がいいな。」と言っていました。
今は彼氏と同棲中です。
「私が好きになるのは、その人の内面で外見とか学歴とかには全く興味がないの。」と言っていました。
東大生と付き合っていたこともあったし、今の彼はイケメンです。
息子の場合
「20歳を過ぎても、俺はお酒を絶対に飲まない。アルコールは脳の細胞を壊すのに、それを飲むなんて考えられない。」と私がお酒を飲むたびに言っていました。
20歳になると、夕飯とともに缶酎ハイの写真が送られてきました。
もちろん、話が違うではないかとツッコミのLINEをしました。
「ジュースのようなものだから問題ない。ビールみたいな苦いものは飲める気がしないから大丈夫。」という返しが来ました(問題ないの意味が分かりません)。
そして、年末にスルメと缶ビールの写真が送られてきました。