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経験上、私はテクノロジーをあまり信用していない

ガチャ。
バンッ。
うわーーーーーん!

夜11時、そろそろあかりを消して、眠りに落ちそうになっていた時、娘がタブレットを抱えて、泣きじゃくりながら部屋に入って来た。

ど、どした、どした?!

「数日かけて書いたエッセイが消えた。あと、30分で締め切りなのに〜!」

娘が突き出したタブレットを受け取り、あれこれ試してみるが、ファイルはどこにも見当たらない。

カレッジのネット上に自動保存してあるはずなのに。

変更前のバージョンもない。
タブレット本体にもない。
フォルダ自体のリストアかけようと思っても、ファイルがどこにも見当たらない。

あれこれ頑張ってみたが、無理だった。

娘も先生に状況を説明して、あれこれやってみたけどダメで、先生曰く、「学校のシステムアップデートでどうにかなっちゃったかもねえ」とのことだった。

まだ、ぐずぐず言っている娘に、「こういうことがあるから、私は大事な書類とかは、必ず別場所にも保存しとくようにしてるよ」と、諭すように言う。

しかし言葉が終わるか終わらないうちに、
「でも、こんなことになるはずがないんだもん。私は言われた通りにやった。だから私は悪くない!」と絶叫する娘。

「いや、悪い、悪くない、じゃなくって、所詮コンピューターなんてゼロ、イチ、電気のオンとオフの......」

「そんなの知らない! もういい! うわーん」

バタン!

嵐のように去ってった。

私はもともとコンピュータのサポートやトラブルシュートの仕事をしていたので、わりといろいろできる方だ。

でも今回は無理だった。

そして自分の仕事の経験から、私自身、そんなにコンピューターとかITとかを信用してない。

確かに娘が言うように、「こうしたら、こうなる」ってのが、きっちり決まってるのがコンピューターなんだけど、所詮、構築して、運用してるは人間だから、100%はありえない。

サポートの仕事してた時も、「人間が楽になるためにコンピューターが生み出されたはずなのに、うまく動かなかったり、使いこなすために、えらく時間と手間がかかって、ちっとも楽になってない気がするのは気のせいか?」と、よく思っていた。

夏に行ったディズニーランドでも、昔みたいな紙の園内マップとか、ショーの情報のパンフレットとかまるきりなくなってて、スマホのアプリ一辺倒だった。

こちとら、地図をくるくる回して歩くタイプの人間だから、スマホのちっさい画面のマップごときじゃ、ぜんぜん位置関係がわからない。

結局、あちこちでたむろってる係員の人に、アトラクションから、食事の場所まで、何から何まで聞いたし、なんちゃらパスとか、ショーを見るためのくじ引き的な何かとか、さっぱり把握しないままくじ引いて、知らないうちにハズレてて、ドキドキもしなけりゃ、ガッカリもせず、「お、おう」ってな感じで終わってしまった。

まあ、そもそも、取扱説明書とか読まずに使い始めちゃうタイプの人間だから、じっくりアプリを使いこなすとか、そもそもしないんだけど。

どんなにハイテクになっても、所詮、元を正せば電気の信号。しかも近頃はネットありきが前提だから、どんなに二重三重に準備してても、訳のわからないことは起こる。しつこいようだが、所詮、ゼロ、イチの世界のものなのだ。

だって、銀行のシステムでさえ落ちたりするもの。

去年だったか、私の住んでるあたりで大規模な支払いシステムの不具合が出て、カード類が使用不可能になったことがあった。

半日くらいで復旧したけど、たかだか半日くらいカード系が一切使えないせいで、パニくった人が続出したらしい。キャッシュオンリーになったけど、現金を持ち合わせてない人がブチ切れたり、ガソリンスタンドで、長蛇の列になってたり。

あと、せっかく現金があっても、レジの人がさっぱりお釣りの計算できなくってお手上げ状態だった、なんてこともあったらしい。

いつもスタバでアップルウォッチで、さっと支払いを済ませて、オフィスに向かうシュッとした兄さんたちが、ルーティンが崩されて、狼狽えてるのをみたとき、昔、学生だった頃、学校の駐車場を爆走してながら通り過ぎた車を見て、お爺さんが、「人生は、そこまで思った通りにはいかないもんだよ」と呟いてたのを思い出した。

うちの子供たちを見てても、生まれた時からコンピュータがあって、いろんなことがサクサク自動でできる環境で育ってるせいか、「万が一」という感覚が今ひとつ薄い気がする。

自然現象的なものに関しては、それなりに、人智の及ばないところにあるのはわかってそうだけど、テクノロジーに対しての信頼が半端ない。

「ママは心配性ね〜」

でもさ、人生「思いもよらぬ事」って結構あるもんなのよ。

〜終わり