楽とは

仏教で説く「楽」とは何でしょう。

漢訳仏典でみられる「楽」は、原語のサンスクリット語では、sukhaといいます。英語ではpleasantとかeasyなどと訳されているようで、日本語でいえば、「楽しい」とか「安楽」とか「快い」という意味となります。

何か趣味に没頭している時間は、自分にとって心地の良い安楽なものですし、家族や親しい友人と楽しい時間を過ごすのは幸せなものです。また、最近は、仕事はお金の為に費やす嫌な時間と捉えるのではなく、自分が主体的に取り組めることを職としていこうという流れが大きくなりつつあります。

やらされ、働かされていると精神的にも疲労が大きくなります。しかし、同じ時間働いたとしても、自らが主体的に自分の意志で動くことができていれば、心に充実感があり、自ずと疲労も感じづらくなるものでしょう。

そういった休暇の時間はもちろんのこと、働いていても充実感があれば人間は「楽」を感じて生きていけるものです。この「楽」が広い意味でのsukhaであるといえます。

そして、さらに深い意味を探っていくと、悟りの境地を「楽」という感覚で表すことができます。自我を満たした時の「楽」ではなく、自我を完全に手放した時に得られる「楽」があると、仏教では説きます。自我から出てくる欲望は満たしても満たしても、また現れてきます。すると最終的に満たされずに人は苦しみますから、楽を得たとしてもそれは一時の話であって、苦がまたやってきます。

究極の「楽」は、欲が満たされなくとも得られるものであり、修行を重ねてのみ得られる感覚だといえます。私のような凡夫は、思い通りにならない時には苦しみを感じてしまうわけですが、その時に、この世界は無常であるということを観察し、感情的な心の状態を抑え、平静な心を保てるように訓練しなければなりません。別段、出家しなくとも日々の気づきを大事にし、坐禅などの自身の内側に注意を向ける習慣をもつことによって、その境地に近づいていくことは可能だと思います。



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