プロセスエコノミー②~最後の転職?~
こんばんは。
けいじです。
昨日は一区切り。
題名の通り、いままでの職場を退職することとなりました。
独立を転職というなら題名は少しずれた内容になりますが、これだけ何か所もうろうろしていた私の最後のサラリーマンとしての雇用が明日から始まります。
前回のnoteではぐらかしていた部分ですが、私は3月に現社(本日付けで退職なので正確な言い回しではないかもしれませんが。)で正規雇用されました。
就職は昨年6月。それまで週2のアルバイトでした。
今回の成り行きを記載します。
1.きっかけは独立案件
今回独立案件をいただいた方は、自身でも薬局を経営されている方です。
ではなぜ私に案件を振ってくれたのか?
利益の見込みがないから?
余力がないから?
否、ただ単純にこれ以上自身の薬局を増やすつもりがないからとのことです。
もし上記の見込みがなかったとしても、私個人としては立地が地元。
もともと薬剤師を志したきっかけの、「生まれ育った地域への貢献」。
紹介いただいた社長の本音がどうでも二の次と思いました。
それほどまでに案件の内容は私にとって魅力的でした。
ただし条件に相当後ろ髪をひかれたのです。
私に独立案件を振ってくれたのは3月中旬の事でした。
元よりの関係性から会いたいといっていただいた理由として考えられたのは、独立案件か求人案件。というおおよその予測を立てての面会しました。
結果両方だったのです。
案件としては絶好のチャンスでしたが、もしこの案件を受けるなら、しばらく私のもとで研修として就職したうえで開業というのが条件。しかも入社はゴールデンウィークあけ。
回答期限は4月上旬。
正直めちゃくちゃ悩みました。
その日は眠れなかったのを今でも覚えています。
もとより雇用先の代表にも紹介元の社長と面会することは伝えていたので、翌日には絶対この話が出ることが分かっていたので。
結局その晩、退勤後に現社代表に今回の面会の内容は以下の通りと伝えました。
そりゃ怪訝な顔になりますよね。
入社すぐ退職って…。なんなら2週間目って…。
私もどんな顔をしてその日を過ごしていたのか?
自分でも隠しきれていなかったのは自覚していましたが、代表曰くその日の朝から何か言いたそうな顔はしていたのでもしかしてって思っていたとのこと。
ただし、もとより入社前の面談から「独立」が夢であること、だからこそ正規雇用ではなく、アルバイト雇用をお願いしたいといい続けていたので、という言い訳になるのかな?
結局正規雇用に折れたのは、週6アルバイト生活で約半年たったころ、 「独立」という目標に対して何も成果が上がらず、いい加減ちゃらんぽらんで過ごすのもと決意したこと、この会社であれば、周りのレベルアップとともにいつか独立案件を得ることができる可能性があると信じて週4のアルバイト先よりこちらを優先したわけですが。また、そんな私に正社員にならないかと延々口説いてくれていたこともありきでしたが。
独立案件を振っていただいた日は、ある程度予想こそしていたものの内容にあっけにとられすぎて聞きたいことを聞けなさ過ぎたので、翌週に再度面会することに。
雇用先の社長にはそのことをお伝え。
何となく腹は決まっていたものの、雇用先にすぐに辞めますと言い悪すぎて…。ただもし受けるとしたら、この段階で辞職の可能性を伝えておかないと、あまりにもXデイが早すぎて。
そこからさらに試練が待ち受けます。
2.体調不良
紹介元の社長とのやり取りをしながら職場でちょっとした壁を感じながらの少し気まずい雰囲気での業務で意外と堪えていたのか、apple watchの脈拍計が異常に反応するように。
職場はコロナ対策で毎日朝の体温を記載しないといけないのですが、37℃~38℃の熱が続いていました。
検査キットや門前の病院でコロナやインフルエンザ陰性。ただ延々続く不明熱。脈も相変わらず高く、何もしていなくてもapple watchの警告の通知。 まだまだ若いから多少の異常は乗り越えられてしまうので、しばらく我慢しながら勤務していましたが、1週間熱・脈は下がらず大事を取って循環器科受診。
診断は「亜急性甲状腺炎」の疑い。これは急性期疾患。所謂風邪の重症バージョンだったので、完治までしばらくかかるものの、まあ仕方ないか程度。ただ、画像診断が病院の都合でできなかったため専門科を紹介されました。
またその先では甲状腺エコーを実施。
「9割がたバセドウ病だろう」と診断。
医療従事者の端くれなので、長期の薬物治療、その病態による仕事への支障、副作用と一瞬で頭をよぎり、真っ白に。この大事な時期に…。
1か所目の病院での血液検査の追加オーダー結果次第でバセドウ病確定とのこと。
独立目の前にして、これは痛すぎでした。
ちなみに
薬である程度の症状は抑えられるものの、副作用のリスクは高く、慢性疾患。
これからという時期の診断はとてもつらい結果でした。
そんな中、紹介先の社長と二度目の面会。緊張と病気のせいで、面会前は39℃越えの発熱に、130回/分の脈拍での応対に。
意地とアドレナリンで何とか乗り切りました。結果単純に一度目の面会では上記の独立案件の大まかな紹介と就職という条件のみだったのですが、深堀。案件を受けるにあたって費用面やその他条件の確認を済ませました。
この2回目の面談で資金調達に信用という障害こそ感じましたが、やっぱりやりたいという気持ちが大きい。
何ならその場でやりますと言い切りたかったのですが、結局さすがに冷静になりたくて、再面談のアポを取ってその日は終了しました。それが4/2の日曜日。
翌日は血液検査の結果をうかがいに受診予定。
更に現職代表には当初やるやらないを伝えにいくと伝えていたので、辞意の表明も必要。
熱と脈にうなされて翌日を迎えるのでした。
3.確定診断
朝一ドキドキで病院に向かって結果を確認。
血液検査の結果から、バセドウ病ではなく、亜急性甲状腺炎という結果。
とりあえずさっと胸をなでおろす。
急性期症状(痰や咳、発熱、動悸)に対するお薬に加え、ステロイド投与に。
朝飲む薬の錠数は8錠。こんなに飲まないといけないのか…と若干悲観的になったものの、慢性疾患を回避できただけとわりきる。
ステロイド開始にあたって、5日ほどは感染リスクの高い職場での労務は避けるべきといわれ、診断書をいただいて職場に。
これで辞意の表明に加え、5日以上の出勤停止を伝えないといけなくなったわけです。
ドキドキしながら職場へ。
出勤と同時に社長と出くわす。
初めに体調の心配から入っていただいたことはとてもありがたかったです。
診断内容と出勤停止についてまず説明。
そのまま帰りたくなる気持ちを抑えて、更に「ちょっといいですか」
前回の紹介先との面談の結果を伝えた後も何度か止められていたところの煮え切らない態度から、ある程度覚悟を決められていたのか、「わかった」と返答をいただき帰宅。
最後に紹介先に「やります」と伝えるだけになったのに、何となくもんもんと過ごす療養期間でした。
結局4日休んで体調がある程度回復したので、出勤。
超多忙店舗の為、これだけ長期で休むと耐えられるか不安だった初日でしたが、どうにか無事終了。翌日にも響かず、何とか回復を確信しました。
4.気まずい日々
なお2週間おきに受診指示があったので、午前中だけ、何なら1時間だけだが欠勤届を出しまくる。有給なんかははもうとっくに使い果たしていました。
何なら後1か月でやめる社員。
社長からしたらやるせないだろうな。と思いつつ過ごす日々。
以前は毎日の残業終わりに職場の社長を含めた数名の社員で食事に行っていましたが、帰るムード。
自分のやったことに対しての対価なので仕方ないなと思いながら、何となくさみしい思いに。
その間紹介先の社長には案件を受ける意思を表明。
開業条件として早期に会社設立があったので、司法書士や銀行との面談もありきだったので、割り切れましたが。
そんなこんなで時が過ぎ、社長からも少しずつ開業の話に触れてこられ、相談できる状態までは改善していきました。
後、ゴールデンウィーク前週。
今までにないほどの多忙。
かつ法人立ち上げなどの私事。
多忙に多忙を重ねる。
ある程度形も作れたので、ゴールデンウィークは家族でまったり過ごしました。
ゴールデンウィークはあけ、反動によるラッシュもすごかった。
過去最高枚数をたたき出す。一日枚数は大台を常に突破し続ける。
自分勝手な考えかもしれませんが、当初ゴールデンウィークあけにはすぐ就職を少し延長いただき、締め日である15日にずらしてもらったので、少しでも反動のピークには貢献できたかなと感じております。
5.激動の2か月間
そんなこんなが私のこの二か月間でした。
案件、退職、病気と重なり、人生でトップレベルの激動の日々。
少なくとも辞めたことによる罪悪感はいまだに引きづっています。
これを払しょくするには独立を成功させ、あの時見送っていただけたおかげですと報告に行けることが一番の恩返しかと考えています。
今日から紹介先の社長の下での修行。
初日ということで、雰囲気を見ながらの業務でしたが、こいつなら問題なく開業できるという評価を勝ち取るために邁進してきます。