
10.改めて自己紹介
こんばんは。
本日は以前記載した自己紹介が長く、プロフィールリンクのブログは一つまでということで、新しく自己紹介のブログを作り直そうと思います。
私という人間
私は1989.9.28生まれの32歳です。現在は薬局薬剤師として7年間お仕事を続けています。4つの転機にて今の自分がいますので、今回はそちらを紹介いたします。
0歳~15歳
私は香川県高松市出身です。
幼いころは活発で落ち着きがなく、なんにでも興味を持つ子供時代を過ごしました。はしゃぎまくっており、よく迷子にもなっていたのを今でも覚えています。
小学生時代、親戚の住んでいる五島列島に家族旅行に行き、こんな海があったんだとひどく感激。ここに別荘を建てるんだと「建築士」以降もたまたま物理や数学がとても好きで、一直線に建築士を目指していました。
15~18歳
将来建築家になるんだと心の片隅に置きながら日々を過ごしていたのですが、ある時、「医療」という道もいいなと思う出来事。
それが実家の手伝い。
実家は全く医療に関係のない職種ですが、季節労働者である為、どうしてもある時期になると人が必要なのです。私は15歳になったこともあり、「今年からやってみるか?お小遣い稼ぎでもいいし」と父親の一言から家業の手伝いをすることに。
その時期は人手が社員さんだけでは足りないので、毎年数名アルバイトを雇います。そのアルバイトは会社の付き合いもあり、看護の専門学校に通うお姉さん方を例年雇っていました。
思春期真っ只中の私は、お姉さんにちやほやされながらアルバイトをこなしていました。
…。今考えればいい身分…。
…というのはおいておいて、医療の道を目指している彼女たちの働きぶりを見ていて、(たまたま真面目な方が当たったこともあるかもしれませんが)なんて手際のいい人たちなんだっと。
一種のあこがれも抱いていたのだと思います。
また、アルバイトの作業中や休憩時間にいろいろ学校の話や医療について教えていただきました。なんで看護の道を選んだのか、学校はこんなところ、実習はこんな感じ等。何となく医療って面白いなと。
ただ個人的にいろいろあり、血を見ることにトラウマがあった為、医師・看護師はできないな。なら他に何があるのか?当初無知な私は医療従事者は他に 「薬剤師」しか思い浮かばず、薬剤師もいいなと思いだしたのです。
18~24歳
比較的真面目な私は高校3年時、毎日10時間以上の勉強という努力の健闘も むなしく、第一志望の建築学部に落ちてしまいました。正直第一志望しか目がなかった私は浪人という道を選びたかったのですが、周りのススメより、第二志望の建築学部の私学、第三志望の薬学部を受けましたが落ちる。(ちなみに第二志望の建築学部は一番得意な数学の試験の名前を書き忘れるというポカミスで滑った。)国立の建築学部の後期日程という道もありましたが、あまり興味がなくこれで最後にしようと受けた薬学部。
手ごたえはよかったのですが、正直試験がとても簡単で、ミスが合否を決めるのではと思っていたので、ここも落ちたかな…と思っていたのですが、初合格。
記念受験くらいにしか思っていなかったのですが、その年の初合格ということもあり、母親が泣いて喜んでくれて、引くに引けなくなり、薬学の進学を決めるのでした。
薬学に興味を持っていたのは事実ですが、正直「建築士」志望だった私は、 薬剤師という仕事を全く知らずに入学。まず入って初めて6年制であることを 知り、「社会出るの24か…」と落胆したのを覚えています。
また、入学当初「医療従事者の薬剤師=病院薬剤師」という印象だったので、 病院薬剤師の道を目指しました。
学業を続けているうちに、薬局薬剤師、病院薬剤師、MRという大きな3つの道があることを学びました。ただ、他に変わり種として「麻薬取締官」という道もあることを知り、卒業間近まではずっと志していました。なんせ新卒というブランドを活かせるのはこの職だったので。
今の奥さんと5年次に出会い、結婚を考えだしたことがきっかけで、妻帯者が 危険な仕事に就くのもと思いだし、方向転換したのが薬局薬剤師でした。実習で感じた患者様との近さや、病院薬剤師が行う業務は在宅医療という場に出れば 同じような業務にも携わることができること。それが決め手でした。
24歳~現在
私は医療従事者を志した理由は当初不純ながら、卒業時には、「地元に医療従事者として貢献する」というものに。ただ、やはり田舎と比べ、都会の方が医療や体制が進んでいるのではという理由から、大学から出た大阪でしばらく仕事を することに。
最初に努めた企業は大阪の一部地域でドミナント展開をしている、比較的若手が活躍しているドラッグストア併設型薬局でした。同期も20名ほどおり、店舗数も数十店舗。本配属は3店舗でしたが、応援を含めると10店舗近くの薬局で働く機会がありました。
とても勉強にはなりましたが、薬局の近隣の環境に依存した業務内容の違いしか感じられなくなり、このまま大阪にいてもこれ以上は…という観点から、香川県に戻ることに。
香川県でも地域密着を掲げたドラッグストア&調剤薬局で勤務。そこは地域密着を掲げているものの、本拠地は他県。まだまだ香川での出店は少なく知名度も ない。今までの仕事量からすると、何となく物足りない感がありました。そして私が薬局薬剤師で一番影響を受けた薬剤師の在宅医療がその会社(香川の店舗では)では取り組んでおらず、県下でもあまり浸透していないことを知り、立ち上げに関与しました。「0→1」の作業は手探りながらその会社で努めた約3年で一番充実していました。ただ、どうしても物足りない感を払拭しきれず、たまたま多職種連携の会議で知り合った薬局の代表から声がかかったので、ついていくことに。
今までドラッグストア併設店を選んでいたのは、調剤報酬だけに囚われているようでは、いつか国が極端なかじ取りにきったときに生活ができないという不安からです。第二事業、第三事業があることが会社の安定だと思っていたので。
ただし、どうしても面白みに欠けていた当初の仕事。もう少しいろいろな経験をしたい。じゃあ一層のこと、個人薬局に行くのであれば「独立」を目標にしようと。
代表からのヘッドハンティングを飲んだ当初、代表の店は事業拡張をもくろんでいたこと、その当時の状況では自身の薬局では人が足りていたことから、別の薬局に派遣に。そこの内部事情を探り、店舗購入の足掛かりにという仕事を行っていました。
調剤薬局単店は初めての経験。
門前ドクターとの関係性づくり等は今まで面調剤ばかり努めてきた私にとってとても新鮮でした。
そういった派遣は2社経験。後に代表の自店に努め、新しくM&Aした店に管理者として異動。調剤単店の管理者は初めてで、チェーン店ではない薬局の管理者も初めて。いかにチェーン店本部が総務業務等を行ってくれているかのありがたみを実感しました。店舗人事の管理から細かい行政業務的な管理を行いながら、店舗業務を行うのがどれだけ大変か身に沁みました。
どうしても管理者が「独立」を目指している状況がいいのか疑問に思いだしたこと、独立という目標があるのに多忙でなかなかそういった機会に動くことができないもどかしさを感じ、退職。
現在はパート薬剤師として働いています。
今後は…
いままで4社渡り歩き、経験した薬局は20店舗以上です。どの薬局も(何なら同じ法人でも薬局という事業があまりに立地依存という形態の為それぞれカラーが大きく異なる)カラーが違い、普通の薬剤師に比べ、多法人多店舗を経験していると思います。
そんな私の「独立」までの心境状況や経験を今後も記載していこうと思います。
純理系で文章を書くのが苦手なため、読みにくかったりちゃちな文章だったりするかもしれませんが、ご期待いただければ幸いです。