敗北が意味するもの

「失敗は成功のもと」昔からよく言わらてきた聴き馴染みのある言葉だ。

生きていれば、行動していれば勝つこともあれば負けるとこともある。勝者の裏には敗者がいる。

これまで信じてきたことが崩されたり、新しい価値観の中で取り残された自分に落ち込み、取り残されないようにもがく。

恥をかいて、惨めな思いをして、恐れをなして逃げ出したくなる。「この先どうなるだろう。」と見てもいない未来を恐れる。

だからもしものことにお金をかける保険というビジネスが成り立つ。何もないことを願っているはずなのに。

世の中には自分では経験しえないほどの選択肢があり、どれが最良の選択が迷うばかり。

他人の選択がどれも羨ましく見えて、自分の選択が見劣りする瞬間がいくらでもある。「もっといい選択はなかったのか」後ろを向いて悔やむことをしたくなるのはなんでだろう。

ちょっと待てよ。

そもそも自分が掴みたいものはなんだ?

人のマウントをとって羨ましがられて優越感に浸ることか?「器用な人ネ」と称賛されることか?そんなくだらない理由で自分を劣等感の中に陥れてるのか?

今の周りにある人、その多くが一生付き合う人ではない。ここまでの選択にたまたま一致する部分があってそばにいるだけの人。

間違えて、恥かいて、評価が下がったところで「本当の自分」は変わらない。

自分が掴みたい幸せとは?ゆたかさとはー。その中に答えがある。突き詰めて行った先に。

そうして思考して動いた結果が敗北ならば、自分がこの世で生きた証。後悔なんてする必要ない。自分の中にある勝利をもう一度定義して、次のことを始めよう。

勝負は一度じゃない。

人じゃなくて、自分の中にある評価基準を置こう。ある意味残酷なまでに結果が出ることもある事実を受け入れて、理不尽や報われないこともあることを理解して、腐ったとしても歩き続けよう。

それが信じたことなら後悔なんてしない。

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