ハンコの文化について

テレワークをはじめてほとんどの業務が在宅でできることがわかった今、ハンコを押すために出社しなければならないという人が多いというニュースを見ました。

たしかに、請求書や契約書など公文書には必須です。あとは社内承認を得るために、「課長ハンコをお願いします。」という場面は兼ねてから映画やドラマなどでそれとなくいろんな場面で見てきた気がするし、最近なぜかハマっているナニワ金融道でも「ハンコもろてこいや!」とか「ここ見てみぃ!ちゃんと印までついとるやろが!」という主張もよく見られるので、ハンコって日本に「信頼の証」として根付いている文化だなと思います。

営業という立場の私も、資料作成はもちろんクライアントへのプレゼンなどほとんどの業務が家で済んでいる中で、どうしても出社しなければいけない理由のひとつにハンコ問題はあります。

幸い私の会社の組織体制は中小というのもありスリムなので、社内承認のために何人もの上司のハンコが必要というわけではないのですが、それでも「不便だなぁ、変えていきたいなぁ。」と感じてしまうので、もっと大きな組織でいろなハンコをもらう必要がある人は悩むだろうなぁと思います。

そんな中でも、クラウドサインなど電子化が進んだり、GMOさんがハンコを廃止にしたり、日本企業特有ともいわれるハンコ文化が整理され、効率化されていく流れもあることを考えると、また一つ常識が変わろうとしていると思います。


一方、ハンコをくすことだけではなくて、ここで一緒に考えたいのは社内承認のフローの改善や意思決定の速さもこれを機に考えてみたいなと思います。結局意思決定する人の人数が同じであればハンコを押そうが押すまいが、本当の意味での効率化にはならない。

私のクライアントでも気がつくと課題を解決することよりも、どう社内を通すか、という事に議論が変わっていることもあります。例えば一つの新しい企画を立ち上げようとするときも、根本にある「よい企画を作ること」よりも「◎◎さんがこの企画じゃ許してくれないよなぁ~」とか「こういう資料にしないと上を説得できない」という理由で企画の内容が変わったり、社内のいろんな人に受け入れられるように八方美人に考えて、結局八方塞がりになってしまうようなことがあり、「一体誰のために考えているんだろう?」となることもあります。

もちろん、現場だけではなくて、会社としての判断を下す意思決定者を納得させるためにロジックや裏付けを立てることは必要だと思います。しかし、意思決定をする人が多すぎていろんな人に根回しをしなければいけなかったり、むしろそっちへの労力がかかり過ぎてしまうのも本当に必要なことなのかな?と考えてしまいます。

多分私の場合は組織が大きくないので、上長が承認してくれれば社長に話がいき、間違いでなければ承認される。という環境にいるのでそう思えるだけで、もっと大きな組織にいらっしゃる方からすると「そんな簡単なことじゃないよ」という声もあるとは思います。

でも、働き方や会社の在り方が変わりつつある環境だからこそいい方向に変えられることがあるのであれば、これを機に考えるということも必要なのかな、逆にハンコをなくさなくても究極個々人が正しい判断をできるようになって意思決定者だけハンコをもらえばいいだけであれば、そんなに困らないのかなとも思います。

「ハンコを押す」は無駄なことかもしれません。請求書や対外的な文書のハンコについてはデジタル化で問題ないと思います。

ただ、社内承認の話においてはハンコをなくすことだけに焦点がいってデジタル化されたからOKという事だけではないように思います。その奥にある意思決定力や、個々の判断力、それを尊重しやすい組織体制などを考えることも、あってもいいのかな、と思います。

少しアナログな私は、新しい取り組みをしようと社長に直に判断を仰ぎにいったとき、社長が引き出しから使い古された貫禄がある渋いハンコを出して、「やってみろ」といいながらドンと押す重みのあるハンコも嫌いではないので、自分の中でバランスを取りながらこの中間管理職なりにこのことは考えていきたいな、と思う今日のnoteでした。

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